先生、ありがとうございます。
先生、ありがとうございます。
先週、三鷹コンサートの翌日ベランダに出ましたら、空間が耀いて充満しているのを感じて
髙麗さんから前に
Г私たちは先生がお生まれになってからの自然しか知らない」というようなお話をして下さったことを思い出しました。
艶のある輝きの空間に体が満たされました。
24日の仙台コンサートで、
先生が、お一人お一人の命の輝きで地球全体を耀かせて下さっていることを感じました。
そして地球という生命体からの命の要求を叶えて下さっているように感じます。
一部の終わりに初日の出の映像が浮かび、新年を迎えたようでした。
25日、飛び込み中に、もう汚いことは出来ない空間になっていると感じられて、汚いことを弾き飛ばす力も感じました。
実は23日の早朝、仙台に着いたのですが前夜の食べ過ぎの為、体が重くて、、でも何故あれほど食べたのか?
何かに取り憑かれたような食べ方でした。
今日は無理ですと言われたくなくて前日入りしたのに、自分の不摂生のために体が重くて何十回も止めよう止めようと途中で投げ出したくなりましたが、日暮れまでやらせて頂きました。
コロナ禍が理由の断り文句は2割に満たず、成果の上がらないやり方や生き方をそのまま認めない蛮族というご指摘を頂けて有り難く、そして申し訳ないです。
課題はたくさんあります。
人の良さにつけ込んで、人の気持ちを考えるように言われても無神経な人に会うのは悲しい。
心の負い目が傲慢さにすり替わる人に会うのは虚しい。
気持ちがあり過ぎて磁石のプラスとプラスが弾き合うように反発するのは、何故なのか?
でも、それが自分。自分です。
お餅を美味しく頂く為に、美しいお正月を迎えたいから、整理して綺麗にお掃除して、京都に行きます。
先生、やさしいお気持ちをありがとうございます。
胸がほどけて歩けますこと、ありがとうございます。
西山万里子