KEIKO KOMA Webサロン

優と在る生命


東京にて4夜連続のコンサートに参加できまして誠にありがとうございました。
昨日の21日も三鷹のコンサートにてとても得難い経験をしました。コンサートがはじまると、私はこの数日、一体どこにいたのだろうとハッとしていました。それから思い出してみるだけでも、私は数日間、異空間を浮遊していたことに気づきます。しかし本当はいつからこうであったのかと、自分では捉えきれない程長くこうであったのかもしれないとも思えました。どれだけの長い間をこの空間に浮遊していたのか。時間もないようなとても長い間、この空間を旅をしていたようです。それは、コンサートで経験したような幸せとは、悲しい隔たりがある苦しい時間でした。昨日のコンサートで、生きられる場を見つけて到着できたようで、それがとても幸せだったのです。果てしないほどの壮大な人間の生命は、とてもおもしろいとおもえました。
それから、私の内面は、新しい言葉を覚えられる気迫と機運に満ちていました。とてもなつかしい機運です。幼い頃、言葉を覚えて、自分の内の光景を言葉にのせて伝えられるおもしろさは再び満ちていました。私の生命は喜びに燃えていました。昨日の第二部のあるとき、内面で覚えた言葉は「優」でした。やさしいってこういう事を云うのだと感動しました。そしてそれは同時か、少し次のステップで「愛」となりました。大人という年齢になって、意識とかただ記憶として刷り込まれるようにしてあったその文字のイメージとは、はるか違う次元の言葉であると、新しい言葉として覚えました。そして、優があって勝てる戦を知りました。優勝という言葉の始まりはどのようであったのか今の私にはわかりませんが、コンサートで私が経験したその言葉は、ある大きな世界のことのようでした。はるか彼方の時空を越えたところにある世界は、今この時代のコンサートという機会で全面に顕れているようでした。そして人間は、そこで生きる気があれば、いつでもその世界に在り、生きられる現実を知ります。それは誰がとか誰かだけがという世界ではなかったのです。この世の目先の世界での勝ち敗け等とは次元の違う話でした。永遠の世界での勝利といえるような状態でした。次元や時空をこえて存在する世界に生きる生命は、永遠でした。闇とか悪とかと混ざることもなければ、排除することもなく、それは戦うことすらないのかと思えるほどでした。戦いにすらならないその勝ち戦の在り方は、血気盛んに戦おうとしていると、そういうことではないのだと知ってなんだかぽかんとしてしまうのです。ただその場に在るということだけで、勝っている在り方でした。
例えば一人の生命が、その優勝と云える世界に在り生きているだけで、遠く海をこえた世界の生命を犠牲にする戦にまで勝つことができるようでした。
自らの生命さえも天をこえた世界に託す事ができる、その天に託せる生命は清くそして天に受け入れられる生命は美しい生命でした。清く真っ当にあることが、天に通づる生命でした。それは、今の時代、この世の闇に染まらずに、このコンサートで得られ、経験した生命を汚さずに生き切ることでした。何も言い訳はできない世界でした。全ては、自らが決めている事であり、どのような選択をするのも、そしてどのような結末を迎えても、この生命を運ぶのは、もう私自身よりいなかったのです。初めて知る世界は、生きてゆけてそして生きてゆきたい世界でした。

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