KEIKO KOMA Webサロン

優しい


昨日、一人の高校生と話していて、その子は「人に優しい行動」を自分を守るためにしかとれていないということを知り、その状態に唖然としました。本人は無自覚にも「自分は優しい」と言うのです。人に優しいとはどういう状態かを、まだ(幼いから?)わかっていないのだ、と理解しようとすればするほど、こちらの身が痛み、心が苦しくなりました。「へえっ!この子はそういうことだったんだ」と気づき、いきなり背中を切りつけられたような痛みを感じ、昨夜はしばらく眠れませんでした。この数年ずっと切望していることがあります。それは「目の前にいる人のことを過たず解りたい」ということです。無論、相手をジャッジするためではなく、本当のところが分かれば、相手が何を望んでいるかも瞬時にわかってこちらも行動できるだろうし、本当のところがわかればこちらの行動もより的確になると考えるからです。相手のことがわからないことによって、どれだけの無駄な時間を費やし、どれだけ遠回りをし、どれだけ傷つき傷つけ、色々間違いを冒してきたことか、と。自省の念に駆られることの多さよ!・・・「人のことが分かりたい」なんて、傲慢なのでしょうか?しかし、どうしたらそうなれるのか。ずっとずっと切望していることに嘘はなく、下心などもなく。・・・と書いているうちに、昔、高麗さんが子供の頃の思い出を話してくださったことを思い出します。周りの同級生に「人のことがわからないの!?」と驚いて尋ねた、というお話でした。周りの子供たちは「当たり前だ」と言い、高麗さんに「あなたはわかるの?」と逆に聞き返され「わかるよ」と仰ったら「そんなはずはない、そんなの変だ」と言われた、というエピソードです(私の記憶している言葉は少し違っているかもしれません)。人のことが分かりすぎてしまうくらいわかってしまわれる高麗さん。そのご苦労を思う時、やはり私のようなものはそんなことを悩むべきではないのだろうか、わからないのが当たり前なのだろうか、とも思います。しかしそれでもこの数年、ず〜〜〜っと悩み続け、課題にしてきていることです。そのことを、生まれて初めてここに書かせていただくことで、自分の本意を見つめ直す、大事な機会にさせていただけましたらありがたいです。

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三鷹市芸術文化センター風のホールにて
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