儚い現と永遠なるもの
昨日朝から、宇治川を眺めたく出かけました。人のいない商店街を抜けると、大きな橋の欄干が見え胸が異様にときめきます。大きな宇治川の光輝く姿が飛び込み、突然の光景に驚きました。真っ青な空、白い雲、太陽の輝きがすべてひとつとなり、宇治川の川面一面に映し出され、光の大群となって私の方に注がれ流れ来る光景。突然オフリド湖の船上から見た光の道が蘇り、相通ずる瞬間です。北風に吹かれながらも、あたたかく、無心に眺めていると不意に涙込み上げ、亡くなった愛犬を思いました。彼は16年前の12月24日に私の家に来てくれた、神様からのクリスマスプレゼントです。先日の迎賓館コンサートでも確かな存在を感じ涙しましたが、今はあたたかく満面の笑顔を感じます。川面の無数のきらめく光が、私の身の内に押し寄せ、幸せのぬくもりが広がる時、幸せの涙と変わります。何て素晴らしいクリスマスプレゼントを頂いた事か。亡くなった今年だというのに感謝しかありません。その後、世界遺産となっている宇治上神社で水鏡で映る光の世界に真を、平等院では天と共に映し出される水鏡を見た時は、儚い現がはっきりと見えました。帰り際に、地面を黄色に埋め尽くした落ち葉が、光の陰陽に染まる時、落ちるが故に美しいと分かります。儚い現と永遠なるもの。要の高句麗伝説が始まったと身体で分かります。初めてです。心動くまま宇治川に向かい感謝します。琵琶湖での高句麗伝説は、衝撃だけが残りました。日本、魂の蘇る日本。青い光を身体に感じる今です。奇跡的に参加させて頂ける京都での高句麗伝説、本日もよろしくお願いいたします。