KEIKO KOMA Webサロン

傷を負ったままでも


第一部「見えないもの、語られないもの」

私達は明るく照らされたもの、はっきりと形を
現したものだけの中で生きているわけではありません。
語られなかった時間や傷が、家そのもの、
土地などに沈んでいるようにあります。
また、谷崎潤一郎は、「陰翳礼讃」において、
すべてを明るく照らすのではなく、陰影の中でこそ
現れる美を書きました。
気づかれぬまま空間に漂っているものにこそ、
静かに深く触れながら、生きています。
あるものは、傷として残ります。
あるものは、記憶として残ります。
またあるものは、ついに語られることのないまま、
ただ気配として、その場にとどまり続けます。
そしてまた、あまりに強い光のもとでは、
かえって見えなくなってしまうものがあります。
少しの翳りがあるからこそ、感じられる深さ。
今夜の第一部では、そうしたまだ名付けられないもの、
見えないまま残されているもの、
その奥に潜む静かな気配に、
そっと耳を澄ませていただければ幸いです。


第二部「初恋の奥で、なおひらく」

初恋とは、ただ昔の淡い思い出ではないでしょう。
誰かをすきになった、ということを超えて、
人が初めて、自分の奥にあるまだ名付けられない
生命の泉に触れる出来事。
人は初恋によって、ただ相手を見つけるのではなく、
それまで知らなかった自分自身の震えや息遣いや沈黙に出会います。
一人の存在によって、世界が違って見えはじめます。
そのとき私達は、自分の内にも
まだひらかれない場所があったことを知ります。
けれども、本当に人を深く「ひらく」ものは、
甘さや美しさだけではありません。
傷つきやすさ、ためらい、痛み、などを通して、
なお閉じきらずに人を迎えいれようとします。
それは、ただ懐かしい記憶ではなく、
傷を負ったままでもなお失われない、
いのちの深い場所の「ひらき」なのです。
壊れやすいものがなお壊れきらずに残している「ひらき」
触れられることで、もう一度、
人が人に戻っていけるような「ひらき」
初恋の奥で、なおひらいているもの。
傷を負ったままでも。なお「ひらく」

昨日のアントレプレヌールサロンでのお話があり、今日はいつにも増して大切なコンサートであると心し備えました。道中、ある方の書き込みのことで先生のお話を伺い、こんなに一言一言を丁寧に読んでくださる御方はおられないと深く頭が垂れました。私も認識と自覚が変わりました。公開している限り、どなたがお読みになっているかわからないのですから、どなたがお読みになってもいいように表現を丁寧にしていくことの大切さが身に沁みます。お話を伺いながら、昨日のお話の深い内容が更にわかりました。昨日もイエスキリストがハンセン病の人の中に入り、皮膚に触り、治ったという内容を書かせていただきました時に、病気が治るというのは存在を丸ごと受け容れられなければ治ることはないと心の中では言いながら書いていたのです。それは自分が経験しているので、よっぽどのことであるとわかっています。先祖代々の歴史まで解放されていかなければ到底治ることはなかったのです。存在丸ごと受け容れられる存在が世界には必要なのだとしみじみ考えた昨夜でした。今は先生がおられます。存在丸ごと受容してくださり、人や自然の生命とひとつとなり、本来のはたらきが引き出される表現をしてくださるのです。世界を救済し、人類を救済するお働きと考えます。大切なコンサート前に、府中の森の木に会いたく、森へ行きました。一本一本の木に手を当て、メッセージを聞きました。この武蔵国があった地でいだきがはじまり、目に見えない世界では大きな木が立っています。現代は闇の世でありますので、その中でいだきの仕事をしてきましたので、闇に囲われるようにしながらもいだきは光の木となり柱となり立っています。今とこれからは闇の世の囲いを脱ぎ、真の光の木が天へ天へと延びていく時とのメッセージを受けました。昨日のお話をよく理解できるか否かにかかっていると感じました。歴史を変え、世界を変える大事業をさせていただけますことは身に余る光栄でありますが、力不足であることに申し訳ない気持ちが生まれ、思わず頭を下げていました。これからは先生のおはたらき、為さっていることをよくわかり、もっともっと力を発揮したいと望みます。今日のコンサートは大変楽しみでした。

パイプオルガンからはじまり、メッセージの繊細で素晴らしいことに感動しながら、お聴きしました。音は懐かしく、昨夜のお話も鮮明に心にありましたので、私にはビントジベイルに行った時の神聖なる風が吹くなんとも言えない美しい丘が目の前に見えました。イスラエルとの国境線が見えるその場に立った時、今まで感じたことのない、見たこともない、どこまでも神聖な美しい光の風が流れる空間を何と表現したらよいかとずっと考えました。神聖なる風に吹かれた瞬間、神聖なる存在が風とひとつに歩くお姿が見え、「イエスキリストが歩いていたらピッタリ」と叫んだのでした。つたない表現で恐縮ですが、至福の喜びを感じました。今日の演奏ではその光景が見え、風に触れ、幸せを感じました。遠い昔からある人間の心、魂を感じ、生きることの原点に立ち戻ります。ピアノの音も心地よく、今日も後頭部から何かが抜けていきました。恥ずかしながらまだ抜けていく枠や殻があることに苦笑しますが、感謝でいっぱいです。天井には美しい女の人の魂が光となり集まり、木の精や花の精、水の精、精霊と表現したい光に満ちていました。生命にやさしいエネルギーと美しい光が注がれ、新しく生まれ変わっていける感謝と喜びでいっぱいでした。涙があふれる程やさしいピアノの音に存在に出会え、胸の内は感謝よりありません。幸せな一部でした。

第2部のメッセージが意味することの深さはこれからわかっていけると考えています。が、終わった瞬間、メッセージに書かれていました「傷と負ったままでもなお失わない、いのちの深い場所の「ひらき」なのです」を経験しました。言葉を読ませていただき、言葉の意味は理解できても実感とし身をもってわかることはできなかったことが、身をもってわかったのです。体がそのまま反応していたのです。それはアンコールの時でした。私としてはいつものすっきりとした終わり方ではなく、最後にピタッと音が終わり、先生が立たれた時、心の中でどうしよう、と不安になったのでした。同時にメッセージの言葉がそのままわかったのです。生きていけると光を見ました。昨日のお話も蘇り、傷を負ったままで復活されたイエスキリストのことを感じ、「生きていける」と一筋の光が生命の内に差し込みました。何があっても生きていけると強い芯が立ちました。なんて感動的なコンサートでしょう。ウクライナの方もいらした時は疲れておられました。精神的にも母国が戦争中で大変な状況にあり、暗くなっていました。頭も心も曇りがあったそうですが、終わった後は亡くなったと皆様がおっしゃっていました。頭や心の曇りがなくなるとはすごいことです。私たちも先生のコンサートで毎回何があってもなくなり、一気に次元を超える経験をさせていただいていますが、只事ではありません。この経験を明日にはウクライナにいらっしゃる方々にしていただけますように、お送りする予定です。先生の音は力があるので、皆が助かることを力を込めお伝えしました。世界中の人にお伝えすることは昨夜からも更に拍車がかかってきました。こんなすごいことをお伝えせずにはいられません。世界も人類も終わるか否かの危機にあり、先生のお働きをお伝えし続けることが唯一の希望の道です。今日もかけがいのない経験を皆様と共にでき、ありがとうございます。

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