KEIKO KOMA Webサロン

個人の在り方と世界の平和実現はひとつ


第一部「迷宮の出口を探すのは無駄です」

蜻蛉日記は平安時代の中期に
藤原兼家の妻によって書かれた私的内省的な日記文学です。
愛されない日々をごまかさずに記録し続けました。
心が揺れ続けている、よろこび、不安、怒り、諦念、
それでも残る期待を、
一切整理せずそのまま書き続けました。
愛に報われない関係の中で自分を消さぬ為に書かれた
極めて静かな抵抗の記録です。
蜻蛉日記の「迷宮」は、愛されないことが前提の制度のもとで、
関係性そのものが「迷宮」なのに対して、
現代の「迷宮」は、スマホ、SNS、情報社会。
現実と虚構の境界喪失などであらわせる、
自己同一性そのものが「迷宮」です。
どちらも、

(1)自分の意志で入ったわけではない。
(2)正解が存在しない。
(3)我慢か消失に向かいやすい。

しかしながら両方の共通の構造は、書くことは出口ではありません。
消滅を遅らせる呼吸です。
さて、どうしましょう。

(1)感情を細部まで感じ
(2)曖昧さを切り捨てず
(3)自分の内面を正確に記述する

念の為、これは弱さではなく、極端に高度な精神技術です。

 


第二部「迷宮と本質的な愛」

「迷宮」が生まれるのは、人が愛を失った時ではありません。
愛を急ぎすぎた時、愛を報酬や結果に変えた時、
その瞬間に愛は行き場を失い、「迷宮」という形をとります。
本質的な愛には、次の特徴があります。
所有しない。解決しない。報われることを条件にしない等です。
これは感情ではなく「態度」です。
「今未完成であることをそのまま許す」これが本質的な愛の核です。
蜻蛉日記にえがかれているのは
愛の成就ではありません。
えがかれているのは、離れられない、近づけない、
それでも相手を粗末にしない、という
出口をつくらない愛です。
破壊に変質しなかった愛です。
「迷宮」が「本質的な愛」に変わる瞬間は「ここにいてもいい」と
決めた瞬間です。

今年最初の先生のコンサートを楽しみに今日を迎えました。島根、鳥取の地震速報を聞き、皆様のご無事と被害のないことを祈り、会場へ向かいました。阪神大震災で被災してから、いつ何処で地震が起こるかしれない日本列島に生きる私たちは生命感覚を養うことが生命の危機管理となることをお伝えしながら、全国で先生のコンサートを開催してきましたことがどれだけ大切なことかと身に染みします。私たちは今日も先生のコンサートを経験でき、生命感覚を養い、何があっても生き抜く精神も養っていけますことに深く感謝します。

今日も予想すらできないコンサートメッセージに大変驚き、興味深く、わかろうと努めました。何度読ませていただいてもわからないところがあり、コンサートの経験がより楽しみになりました。文学的なメッセージに日本の文化や日本人の心を感じ、遠い昔を思い起こすように演奏を聴かせていただくひと時は私にとって最も好きなひと時でした。人生においてこんなに心が豊かな時を経験できますことに感謝し、心地よく聴かせていただいていました。突然咳の音に驚き、遠い昔を懐かしむような私にとっての心地よい時が一瞬にし、壊れました。その後の音は違う世界へ移行したと感じ、新しい音の世界に入っていこうと努めましたが変化についていけない自分の状態を受け止めるよりない状態でした。それでも一音一音を聴かせていただくと、内面にある黒いものやさまざまな感情が見え、どうなっていくのかと身を任せました。突然目の前に陽炎が見え、黒いエネルギーや行き場のない感情が光に包まれ、溶けていったのです。陽炎ではなくメッセージは「蜻蛉」だったので驚きました。一部の最後のメッセージの言葉がずっと心にありました。「1」「2」「3」と書かれた内容の最後に、「これは弱さではなく、極端に高度な精神技術です」に、希望を見出しました。自分の内部を正確に記述する」とか「曖昧さを切り捨てず」ともありましたので、今後、自分の内面を「細部まで感じ」記述してみようと感じました。そしてコンサートにて一気に光に包まれ、溶けていく経験ができますことは救いと感じます。この経験なくしては抜け出し口はないといたくわかります。コンサート会場の一席に身をおけます幸せに深く感謝します。

第2部は、大変面白い経験でした。もはや私の頭では理解できない経験が起こっています。先生の音も大変不思議な音と見え、聞こえます。何処から音がでてくるのかと感じます。空間から生まれ出るような音ですので、どこからということもないのかと感じながら、そのような音を生み出してゆかれる先生の存在、お働きをわかりたい気持ちが湧き出てきます。メッセージの言葉も素晴らしく本質的な愛の核、「迷宮」から「本質的な愛」に変わる瞬間まで記していただき、大変ありがたいです。内面にある生命に負担がかかる状態や、破壊に向かうものや黒く見えるものが光に溶けていく経験の連続でした。ちょうどコンサートメッセージを読む直前に、あることに囚われて、イライラしている状態が苦しく、なんとかしようとしていました。ふと深呼吸をした瞬間、次元が変わり、イライラし破壊的になる黒い世界はなくなったのです。コンサートの一席に座っているだけで、光に包まれ、闇がとけ、光満ちる内面となります。ずっとここにいたいと感じるほどに心地よいです。2部の最後の方で、突然喉に何かがひっかかり、咳がでそうになりました。大変静かな音を大切に聴いていた時でしたので、瞬時に私は口に手をあて、抑えました。息ができなくなり、苦しくてどうしようかと焦った瞬間、演奏が終わりました。先生が立ち上がり、拍手が沸き起こった時に思い切り咳がでました。一部の時に懐かしい心地よい世界に包まれている時に咳の音にその場が破壊されたように感じていた私は、人のことを責めるような気持ちになる時は、自分の内に同じものがあるのだということを認めました。自分も同様にやるところであったことを経験し、普段の生き方を考えました。まさか咳がでるとは考えていませんでした。予兆もありませんでした。突然出てしまったのです。内面に破壊する何かがあるので、コンサートの時に咳となって突然でてしまうのかと感じたのです。最近の課題は戦争に加担する意識や生き方をしていないか否かを考え続けています。内面に何かがあるとある引き金により現れてきます。内面美しく生きればいいといたく感じています。今日のコンサートメッセージにより、細部にわかり心にあるものを書いていくこととコンサートにてすべてが光に溶け込んでいけることを経験しましたので、戦争に加担しない生き方ができる希望を感じています。世界の平和を祈り生きてきましたが、自分自身が内面美しく生きることとひとつであることを今日も身に染みわかりました。先生のコンサートはすべての答えがあります。世界の平和実現も私たち一人ひとりが内面美しく生きていくことで実現できると考えます。

今日もウクライナの方々は心が落ち着いて元気になったとお伝え下さいました。皆様大変穏やかな表情をしておられ、静かでした。国が戦争している苦しみはどれだけのことかと毎回その表情からいたく感じてきましたが、コンサートの経験により芯から癒されている事がわかる表情にふれると安心します。今日のコンサートではこの経験ができれば世界は平和になると感じたとおっしゃっていました。私も自分の在り方で平和になると経験させていただきましたので、それぞれ経験は違うと感じますが、平和への道を皆で歩んでいるのだと感じ、希望を感じます。たくさんの方々と共に経験できますことを願い、次のコンサートに向かって参ります。ありがとうございます。

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