余計な意識
三鷹コンサートに参加させて頂きありがとうございました。当日昼頃から突然胃の痛みが起こり、ただ生きて、コンサートの一席に座らせて頂けるだけで充分という状態でいました。
コンサートタイトルをお聞きして、やさしい言葉でありながら深い意味を感じ演奏をお聴きしました。余計な意識が浮き出てきました。その多くは目で見ていることに由来し、人と比べる、妬み等で、無いものとして奥に隠していたものと感じました。大事なことは自分の道を生きることで、そこにエネルギーも時間も注ぐべきなのに、余計な意識に囚われて無駄遣いしている自分の状態に気づきました。
わかるといつも自分を見ている意識も抜けて、ただ演奏と自分の身体を感じる時間となりました。演奏によって変わってゆく内側。命に注がれるエネルギーを感じ、まるで光合成によって成長する植物のように、ひらかれる身体を感じました。
休憩時間となり、目に入ってくる情報から余計な意識が作られそうになり、見えない方が良いようにも感じてしまい、端々に囚われないことを考えました。
第2部では、更に経験が深まりました。
ただ背筋を伸ばして、演奏をお聴きし、身体を感じる時間は続きました。最後の方では内側から光が発しては空間に溶けてゆき、開放の心地よさの中で、胃の痛みもやわらいでいるのを感じました。
頭の中心で神様と感じる瞬間もありました。
ありがとうございました。
余計な意識は無自覚に溜まり、身体を痛め、大事な時間やエネルギーを無駄にする、ということに気づく今回のコンサートの経験でした。
こうする、も、こうしない、もない、そのままで在り生きてゆく姿勢の大切さを感じます。
一回、一回のコンサートの経験、その尊さに、いつもありがとうございます。