何も知らない
昨日帰りの電車に乗り前に私に声をかけてくれた人は誰だったのか?私の名前を知っていて親しげに。
私が階段降りる姿を見ていて「脳梗塞?」と言われて少し話をしたもののどこのだれかは未だにわかりません。電車に乗っったのがいつもの駅だったから同じ事業所の人かもしれませんがマスクをしているせいかそれが誰なのかわからないのです。同じ事業所と言ってもかかわる人はごく一部で目の悪い私には顔を見ただけではわからないことが多いのです。
考えてみれば自分の体の事や行ったことのあるところの事、お天気の事、(昨日は出かけるときには快晴だったのに帰宅することには雨が降っていました。)いだきに出会って、行けるはずのなかった外国に奇跡的にいくことができて、イタリア、パリ、スペイン、スウェーデン、ニューヨーク、ロシアにも行きました。どうして行けたかもわからないのに。。自分のふれた空気は何だったのでしょうか?不思議なくらいです。でもみんな過去の事です。周りの人のことも知っているつもりですが何も知らないのです。子供たちすらも自分の事すらも。。。
自分が馬鹿なのかと思うくらいに何もわかっていません。確かなことは今とこれからを生きているということ。それも魂の世界ではわかっているとは言えないのです。
今日からいだき講座が始まってまた新しい世界が開けます。何もわかっていないことから未知の未来が開かれるのです。先生や高麗さんの身に受けられることは私にはわからなくても生命掛けて世界を変える力があることだけは確かなことです。いのちが経験したことは忘れることはありません。
自分が何をするとかできるとかは全く分からないのですが、真っ当に生きるということを毎日わかり続けることが続いている限りここで終わるということは考えられません。
レバノンの羊の写真を見ているとなぜかこれが自分のしたかったことと生まれます。人は生きている限り役に立ちたいのです。助けられてばかりでは生きている意味がないという言うことは沢山の人と関わる仕事をさせていただいて一番感じることです。自分も含めて。。。
すべてにありがとうという言葉と、今までごめんなさいという言葉が出会って天高く、鳥の声とともに世界に響いています。