会いたかった存在
美しいロマンの風に今尚吹かれている心地よい体感、人間とし生きる喜び、幸せがコンサート中もコンサート後もずっと続いています。大変素晴らしい仙台コンサートでした。私はコンサート前は絶不調でありました。心配で色々と調べてはみましたが、どう考えても「かぶり」と行き着き、コンサートに向かうことより抜け出し口はないことを甚く感じていました。メッセージをお考えになっておられる先生にご挨拶をさせていただき、かぶりの原因が解かれました。即座に汗ばむ程体が温かくなり、ほっとしました。コンサートが開催されるということは、大変なことです。大地から空間から解明、解決すべく歴史が現れ、紐解かれていくのです。そして真があらわれ、大地も空間も変わるのです。第一部のメッセージには大変驚き、言いようのないときめきを感じました。
「宮城の神秘」
「道を示します。皆様お一人お一人はどの道を進み、どこに向かっているのでしょう。テレビなどの情報により示されることは「道」などというものはかすりもしません。ゆえに下手すると恐怖と不安が多くなり立ち止まることよりありません。東北地方を平定し鎮守し。。。さて、これから我々を導くエネルギー、力、光などを感受できる場として平安時代以前からある、今でいうならば「神秘の地、宮城」です。」
第一音から胸動き、懐かしさに胸震え、全身が泣いていました。「会いたかった人に出会えた悲しみ、喜び」と生まれた言葉は青森県の三内丸山遺跡での先生の「縄文」コンサートの時でしたが、あの時も全身泣きました。今日も最も会いたかった存在に出会えた悲しみとも喜びとも感動ともつかない、言葉に表し尽くせぬ感情が全身に広がり泣いていました。この存在を知ることなくしては人間にはなれなかったのだと気づき、生きているうちに出会えたことに胸撫で下ろしました。神様と表現させていただくなら、神を知らずに真面目に生きても愚かなだけとわかり、この存在を知らずに一生懸命真面目に生きても愚か者であるということがよくわかりました。全身泣きながら、大地に吹くロマンの風に吹かれ、悲しみが愛と交わり、愛となっていくロマンの香りまでするピアノの音に魅せられました。ここに居るだけで幸せを感じました。東北の地に導かれ、仙台の地にてたくさんのコンサートを開催させていただき、やっと今日この地の真に出会えました。源の存在に出会え、人間となれます。この地が愛しくてなりません。私はどう考えても高句麗人ですが、東北人ではないかと感じるほどに懐かしい存在に出会え、真の人間になれる喜びに包まれました。
第2部は「遥かなり、光」
「最も大事なことや、今すぐに気づき行動しなければいえないことなどが、距離とか時間が非常に隔っている昨今です。まさしく遥かにです。遥かな未来に向かわなければいけないのにです。命の、生命の内にある光も遠くなりただ物理的に機械的に扱われる身体です。「愛」は光なくしては成立しません。微かな光は今この時に予想を遥かにしのいだ美しく輝き未来に向けての強い力になります。我々は人間ですものね。」
大切なことに目をむけずに目先のことより見えない人間はいかに人間ではなくなっているかに気づくメッセージです。第一部にて、神に出会い、神を知らずに人間とはなれないとわかる経験をさせていただき、遥かを感じずに人間とし生きることはできないとわかります。ピアノの音で「遥かなり、光」を見ました。「はるかなり、光」の世界で生きる生命を感じる時、美しい川の流れが見えてきました。川は目的や目標もなく、生命のはたらきのままに流れるままに流れていますが、人間は目的、目標を持ち生きることで、生命のはたらきをわからなくなったり、無視するかのように生きてしまいます。生命ある人間の生き方ではないのです。「遥かなり、光」をピアノの音で表現していただき、人間の本来のあり方がよく見えました。今までの人間の生き方は、生命のはたらきには反しています。目的を達成する為に、自分の体を機械のように使おうとする意識も愚か者そのものです。ハイデガーの「気遣い」の意味は自分に気遣いするとお聞きしてから、生活が変わってきました。自分に気遣いするように暮らしていくことは生活そのものが幸せを感じることを経験しています。時間に追われ、時間に縛られ暮らしていることからは存在を表すことはできません。存在あらわし生きるとは今日のコンサートで経験できました「遥かなり、光」を生きる生き方です。ピアノの音の美しいこと、ロマンにあふれることに感動します。空間は水が流れるように風が流れ、美しく吹くのです。なんて美しい世界でしょうか。なんて心地よい世界でしょうか。人間になれる空間を体験でき、ありがたいばかりです。
第一部で神と呼ぶ存在に出会った時、生命の内で真に出会った衝撃が走り、全身を貫きました。頭に見える覆いがいかに愚か者であるかが見えました。人間は空間とひとつで生きる生命であり、神共に生きる生命であるとわかりました。神を知らずしては人間とはなれないとわかりました。東北の地にて出会えた存在は先生に表現していただき、今後は表に現れると考えると、この地でまたお会いできます喜びとときめきが生まれます。この地でだけでなく、出会ったらいついかなる時も共に生きていけることが喜びです。昨夜、生命の光景を詩に表した時に出会えるときめきと書いていました。私はどのような存在と出会えるでしょうかと想像もできずにいましたが、出会える予感があったのです。コンサート中にこんなにも早く出会えましたことがうれしくて魂震えていました。この地で人間が人間とし生きていける世界を創りなさいとおおいなる存在に示していただいたと感じています。東北の復興なくして日本の未来はないとはっきりと見え、東北の地に来ることとなり、盛岡、仙台、山元町に拠点を創りました。やっと何故かという答えを見出しました。大変ありがとうございます。