KEIKO KOMA Webサロン

仙台


この度の仙台コンサートに参加させていただきましたこと誠に有難うございます。
思えば仙台は今年初めてとなります。
はて前回は京都のコンサートだった。
あれはいつだったっけ?と手帳を読み返すほど、日々に謀殺されていました。

ウェブサロンにも書かせていただきましたが、この週末は祖母の49日忌で新潟に滞在していました。
今年は2月に弟が、10月に祖母が亡くなり、肉親はもはや妹と私だけとなりました。
世俗の行事なので仕方ないですが、昔からの習わしに意味があるのかと問いたくなる法事であることと、対象化しているかもしれませんが、妹と話をしていても、彼女の頭は子供の頃と何ら変わりなく、どこまで行っても平行線だなと感じ、私には言葉や話が通じない家族の意味が分からないと感じつつあります。

東京に戻ると頭が割れるように痛くなり、早々に寝てしまいまして、仙台コンサートの当日は盛岡まで行ってから仙台へと思っていたのですが、当日の午前中は家で養生することにしました。

仙台コンサート会場の席に着くと、近くの席の方がガザガザと音を立てたり、いびきをかいたり、吐き気を催しているような音をずっと立てていたりとイラつきましたが、ここまで来て周りに気を取られているのはもったいないと、目を閉じ先生の音に集中しました。
すると第一部は美しい蒼の水辺のさざ波の光景が見えました。
受講生の方の書き込みを拝読していると、具体的な映像の描写が描かれている方がいらっしゃいます。
私の場合は以前ヤマハホールでベネチアをテーマにした時に、ベネチアの全体像の鳥瞰図が見えた以来でした。先生の音はこんなにも美しい映像で、出逢いはこんなに美しいんだと感じました。
そして、体の中がポッと暖かくなりました。

最近の私は先生のコンサートに身を置くと、ただ身を委ねているだけといいますか、身を置いている感じです。思考停止状態なのかさえも自分では分からない状態です。
ただ、仙台まで来て命が洗濯されたため、身を運んでよかったと感じています。

コンサート明けの今日の職場はなんだか一層バタついており、皆何が重要なのかもわからない状態で働いているのかもしれないと感じました。
書き込みにありましたが、存在顕わして生きていく。そう決めました。
流されていく生き方、体よく使われる生き方は今年でピリオドを打ちます。

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結工房にて
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落ち着きました。
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渋谷 さくらホールにて