仙台コンサートの経験
- 仙台コンサート第一部「人類の道筋」の始まりは、ピアノの調律が狂っているのかと思うようなビヨヨーンという響きがまるで琵琶のようであり、先生の表現はピアノという楽器の枠を超え可能性を引き出すと感じました。
ある時の旋律と音色が、タンザニア「平和の灯火」コンサートDVDの音と重なり、あのコンサートにてキリマンジャロに灯った平和の灯火は、今も灯り続け、平和は成ると感じました。
またある時は、高麗さんのお父様がご自分を「高句麗王の直系子孫」と名乗り続けていらっしゃったことを思い、お父様が話される「高句麗」のオンは、教科書の歴史で学ぶ高句麗ではない、真の高句麗を現し、そうやって高句麗の真が連綿と現代まで引き継がれてきたのだと感じました。
またある時、「これは仙台の音」と感じるフレーズがありました。伊達政宗かな?と感じましたが、はっきりとはしませんでした。
仙台コンサート前日、JR常磐線で結工房に向かっているとき、命はすでに次を目指して生きていると感じました。これが内面とわかります。
また、2日間に渡って開催していただいた、仙台高麗屋さんでのビデオ講演会サロンでは、内面豊かに語り合う香り高いひと時を体験させていただきました。
ゴールではなく新たな始まりの仙台コンサートの経験をありがとうございます。
高橋由珠