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第一部「脱出」

1960年、ポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」という映画があります。
旧約聖書の出エジプト記の現代版です。
ここでの「脱出」は捕囚からの脱出を意味します。
今回のテーマ「脱出」は、このような歴史的環境、条件もありますが、まず、
自己の肉体そのものが実際に獄につながれ捕囚されているわけではないのに、
ほとんどわからないままに自由を奪われている生命を解放したいと考えます。
生まれながらにして決められた運命のままに生きるよりない生命。
監視、管理される生命。
ウイルス陰謀論説によってかえってウイルスを軽視するという事態。
誰もが無視できなくなった自然環境などなどあり、これから個々人が
「脱出」することが臨まれることが緊急の課題です。
「脱出」は脱出して空っぽになることではありません。
映画「栄光への脱出」になぞらえていえば、新しい国を創る程の
内面豊かな創造的な、しかも人智を遥かに超えた栄光を建設すること、
そのような生命のはたらきを実現することを意味します。


第二部「栄光を実現する生命」

御存知のように「栄光」とは国語辞典によると

1.かがやかしいほまれ

2.さいわいを約束する光

という意味です。
ここで注意すべきことは、言葉のはたらきのひとつとしてある
「呪術」としてとらえないことです。
「呪術」としてとらえたらまるで意味をなしません。
生命は今までの生命から脱出してはじめて栄光を、
一瞬たりともおこたることなく実現していく生命です。
愛しかり。
一切の争いはありません。
栄光を創造する、輝きに満ちている生命です。

大変しんどい状態で救いを求めるようにし力を振り絞り、先生がいらっしゃる三鷹公会堂へと行き着けました。「脱出」というメッセージタイトルをお聞きし、救われました。真に脱出を求めていました。脱出したいとそればかりで演奏をお聴きしていました。お祓いをし続けていただいている体感でした。体にまとわりつく黒いエネルギーが祓われていきます。その度に体が楽になっていきました。脱出したいと望んでばかりでは脱出できないと気づいた時から先生の音に乗り音と一体となるように音を心澄まし聴かせていただき、脱出することの意味がわかってきました。脱出は地球を抱き、宇宙を抱く愛によってよりできないことを生命で経験しました。そして2部に賭けました。今日は心臓が痛んでならず、一部の時に痛みは和らぎ、体は楽になっていましたが、心臓の奥の痛みがとれずにいました。自分の体を調べるようにし目を閉じると、心臓に胎児が見えたことには驚きました。胎児の時にとんでもない魔物に取り憑かれた図形が見えました。私は子供の時に神と呼ぶ悪魔に目をつけられ、狙われたという表現をよく使っていました。そう見えたのです。今日見えた図形が真であれば胎児の時に狙われ、それ以来、監視管理され、愛という掟をつくられ、まるで檻の中にいるようにし愛という言葉によって自分を縛っていると見えるのでした。監視管理される人間は人を監視管理することも痛い程わかります。それによって心臓を痛めていることもわかります。何かにしがみつき、守っている状態が見え、すべて手放したく力を抜き、おおいなる存在に委ねました。縛りが解かれ、囲いがとれ、空間とひとつである生命となりました。体が温かくなり、やっと血が通う人間になったと涙まで込み上げました。私はどこへ行っていたのかと考えます。被りのせいにはしたくないのですが、大津でとんでもないものを被った感じがあるのです。昨日「詩と語り」にご参加くださった方が私の体を案じてくださっていました。自分でも倒れそうであったので私はさぞ大変であったのではないかと話しかけられ、被っていることも意識できない程に被っていたということを先生の演奏をお聴きしわかったのです。ピアノの音がやさしく生命沁みます。ここが人間の生きる世界であると生命をもってわかります。ここで生きる時にすべては愛おしく、涙込み上げます。愛を経験し、人間になれます。先生の即興演奏が愛おしく、ピアノの一音一音がどれだけ大切かが身に染みるのです。ほっておけば涙よりなくなります。胸の奥深くから嗚咽が込み上げます。「麗花」の詩にも書かせていただいていますが、子供の頃からこの世は檻の中で生きているように不自由と感じた私です。心臓に魔物が取り憑き、檻を作られ不自由であったことが図形で見え、やっと解放されると安堵しました。檻は愛という言葉であったり、様々な観念であります。すべてなくなり自由な生命を取り戻し、救われました。メッセージの中で「一切の争いはありません」を読んだ時に心臓は争いに疲れ果てているとわかり、自分を守るので争いとなることも見えるようにわかりました。一切を手放し、空間とひとつになった時、愛に抱かれました。愛が生きる世界であり生きる原点です。愛なくして人間の人生は生きていけません。世界中の人がここにいればいいと心の底から望みます。

初めてご参加されたウクライナの方は音楽を聴きながら、魂をみつめ、考える初めての経験をしたと瞳を輝かせお話しされていました。先生の演奏は言葉が通じない方にも通じていくので真に素晴らしいです。大津での活動は何事が起こったかと感じる程皆しんどい経験をしました。今日のコンサートですべては受け容れられ、癒されました。体も大変楽になり、心からありがとうございます。脱出した生命は時空を越え愛に生きる生命となりました。

帰路、以前先生の奥様に居ていただきました私の前の家の前を通りました。晴美様が歩いているように見え、思わず涙込み上げました。他のところでは亡き父が歩いているのかと錯覚し喜びましたが、近くに行くと当たり前ですがまるで違う人でした。こんな時、血が通っている人間の感覚がするのです。自分一人で生きているのではなく、皆に支えられ生きる生命です。生きるこの瞬間瞬間がどれだけ尊いかを先生のピアノの音は教えてくれました。「今」を生きる時に脱出していました。その時生命の尊いことに涙迸りあふれ、感謝で一杯となりました。かけがいのないコンサートを経験させていただき、誠にありがとうございます。

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