KEIKO KOMA Webサロン

今日も歴史の謎を解く旅をし


今日も高麗屋にて「高句麗伝説」上映会サロンがあることが嬉しく、向かいました。今、見ると、当日何が起こっていたかがよく見え、先生の働きは人類史上初めての人類救済の働きであることが畏れを持って深くわかることができるのです。わかれば自ずと、出会えた自分が何をするかもより見えてきます。とにかく、正確に理解したい生命の要求からこの度、過去に海外にて開催しました「高句麗伝説」の上映会をさせていただいています。今日は中国、北京での「高句麗伝説」です。それはそれは多くに気づき、一瞬一瞬が緊張の連続で、戦いでした。開催できましたことは奇跡であります。それも無事に開催できましたことは大いなる働きにより守られたということがよくわかります。当日、若光王の詩を詠んでいた時、内から「捕まえるなら捕まえろ」と覚悟を決め、敵に戦いを挑む姿勢となっていました。後から公安がつききりで捕まえる気でいたことを知り、合点がいきました。後日、この時に共演しましたバンドの一員が日本に私を訪ねて来てくれました。死刑を免れたことが何よりとその時の状況を話してくれました。あの時に感じた危機と、捕まることに対し、不条理なことへの怒りを感じたこと、北京に着いてからは歴史的な因子が現れていると自覚していましたが、お腹の底から煮えくり返る怒りと悔しさに苦しみました。ふとお告げを受けここは怒っていても損をするだけとわかり、気持ちを入れ替え、無事に当日を迎えたのでした。奇跡により開催でき、大いなる存在に守られ、無事に終えることができたことを今日は、ハラハラしながらそのプロセスを見、終わった時は守られ安堵し、緊張が解け汗が滲むような状態でした。終盤、「麗花」に続き、ラストに先生のピアノ演奏と共に詠ませていただいた詩は私の心臓の音を詩に表したものでした、聴診器で心臓の音を聴き、音を言葉に置き換えていった詩です。私の生命の詩と受け止めている詩を北京の「高句麗伝説」のラストに詠むことができたのです。その場面を見ていると、受け容れられたという図形が見えました。それは昔であれば敵陣のど真ん中の紫禁城にて自分の存在を名乗り、獲られられず、殺されずに自分の存在を表せたという図形でした。先生に受け容れられ、守られ、無事に表せたのです。すごい場面を見ました。現実に起こったことと受け止める時、今更ながら震えが走ります。辛く、堪え難い経験をした北京での開催でしたが、先生は北京を発つ時に、「台風の目は生まれた。時間の問題で中国全土に広がる」とおっしゃったのです。私はこのお言葉を支えにいつの日か五女山の夢が実現できることを心に生きてきました。今日は、いよいよ現実に動く時が来たと感じられ、魂震えました。それにしましても高句麗の地は現在の中国大陸にありますので、最も「高句麗伝説」らしい「高句麗伝説」でした。中国政府の検閲を受ける為に、詩の内容を確認された時に、思想や宗教的なことは禁止されていますので、自然のことやその地のことに触れる詩であれば問題ないとおっしゃっていただき、私は高句麗の地にて感じたことを詩に書いたのです。それこそ正しく「高句麗伝説」の詩であります。どこの地で行うより最も「高句麗伝説」そのものなのでした。上映会であってもとてもリアルに感じ、高句麗の地に行ってきたかのようでとっても嬉しく、楽しいです。

続いてアゼルバイジャンでの「高句麗伝説」上映です。多くを考える機会となりました。先生はその前に開催しましたグルジアでの「高句麗伝説」が終わった時に、「新しい歴史のプレゼント」とおっしゃいました。そしてアゼルバイジャンは「新しい時間で生きる」とおっしゃいました。私は新しい時間とはどのような時間ですかと尋ねました。先生は「自然とひとつに生きる時間」とおっしゃいました。翌年3月11日に東日本大震災が起こり、アゼルバイジャンでの経験が身につかないと今後は真に生きていけないと身にしみ感じたのでした。今日、見させていただくと、過去の時代は終わっていることが見えました。私の自覚では2012年のインドでの開催の時は世界の終わりと受け止めていましたので、その2年前には終わっていたことにショックを受け、しばらく混乱し、混沌としてしまいました。先生がおっしゃったように新しい時間で生きる時代となっていたのです。終わっているのに、過去の延長で何をしようとも動く訳もなく、実りが生まれる訳もありません。保たせようとしても保つ訳がないのです。新しい時代を作るよりないのです。どこにいても風が吹くバクの街へ初めて降り立った時、私は水の中にいるような感覚となり、不思議な世界で過ごしました。その時の旅の最後に訪ねた要塞にて海に飛び込んだ女性の話を聞き、その女性をかぶっていたと気づき、やっと解放されました。アゼルバイジャンの「高句麗伝説」では海に沈む魂が蘇った詩を詠んでいます。同時に日本でも海に沈む魂がよみがえる詩を詠むようになりましたので、伝播したことを思い出しました。慰霊塔の永遠に消えることのない炎、ゾロアスターの教会にずっと灯る炎が胸にずっとあります。不思議な街です。コンサート本番の時の旅ではコンサート前にコーカサスまで行き、恋し君の香りに出会い、その地にて博物館で雄と雌の鹿が二頭ならぶ姿が地上の美のシンボルであるとの絵を見せていただき、天を地に実現する精神について説明を受けました。ビトラでの遺跡での経験と同じに私はまた名刺を見せ、同じ意味があると「高麗」の名を紹介したのです。忘れられないコーカサスの経験です。終わった後のサロンにて短い時間ですが、皆様と色々お話する中で、経験したことが整理され、今後の世界戦略を考える手がかりを得ています。毎日の上映会にて過去であっても経験したことを正確に理解することは未来を作ると確かな手がかりを得ています。明日はどこへ行こうかと終わった後に相談すると、いろいろな意見を聞き、どうしようかと迷ったり考えたりしました。決められずにそのまま帰り、三鷹に着いた時に、決まりました。ロシアの予定でしたが、グルジア、テヘランでの「高句麗伝説」上映会としました。歴史の謎を解きたい気持ちで、真剣に考えました。本当のことがわかっていける喜びを感じています。そして明後日は新宿文化センターへ行くのです。すごい日々に魂震えます。ありがとうございます。

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六本木 高麗屋にて
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六本木本社にて
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府中の森芸術劇場 どりーむホールにて