今年の幕開けは予想外です。
今朝からめまぐるしいほどやらなければならないことが次から次へとあり、今やっとコーヒーブレイクができ、ホッとします。
年初めのアントレプレヌールサロンと昨日のヤマハコンサートをありがとうございました。
アントレの会場で、先生のお顔がはっきり見えたことが、私にとってアントレプレヌールサロンでの喜びでした。今まで遠視のせいで遠くもボケてしまい、先生のお顔はほとんど輪郭しかわからずにいるのが最近のことでした。六本木の有名な名医がいる眼科医で診察を受けた際、白内障はまだそれほどではなく、視力が衰えていないので、まだこのままでも問題はないという診断と、涙がすぐに乾くドライアイなので、一ヶ月の目薬を処方されましたが一度もつけないままでいました。なので遠視とドライアイで乾燥の冬はかなり目は見えづらいはずなのに、先生のお顔が久しぶりに遠くからでもはっきりと見えたことが、驚きと、今年を生きる力を得たようで、世間でいうところの年齢と、いだきを要としている生命は、世間の常識とは違う体力があり、今年を生きる希望となりました。
昨日のコンサートでは、暮れから新年にかけて実家でずっと過ごし、お正月の食べ物をたくさん食べ、グルテンフリーも炭水化物もいつも目の前にあるので、お正月だからという言い訳のもとに、たくさん食べていたことが原因とも感じるくらいの意識朦朧状態がありましたが、ゼロということと関係があるような感じがあります。先生の左手から響き渡る低音の激しさに、これから生き抜く厳しさを受け止め、2部の最後では美しいピアノの音に純粋な光の聖を感じたとき演奏は終わりました。すぐのアンコールからから身体がやっと目覚めたかのようになり、最後は、愛のなかで生きる命に感動していました。そして身体が起き、中心が立ちます。身体は一瞬で変わることを頭に変わり教えてくれます。身体のはたらきは宇宙や自然界と隔たりがないようで唯一自分をわかる手がかりです。この力がもっと飛躍的に強くなればいいと切望しても、頭が悪ければ何をやるのも遅いです。
今朝からそのことが露呈していくばかりの頭のトロさがありますが、決めた時間までに超忙しいわりには身体は2分ほど遅れただけで約束の時間に間に合ったので、無駄を省くということが少し実体験でき、勝手に作っていたこうしなければならないというきっちりとしたものをやらなかった選択が今日のはじまりとしての手がかりです。
今年を生きる幕開けになりました、アントレプレヌールサロンと、ヤマハコンサートをありがとうございます。