今ここに一緒にいること
昨日は三鷹公会堂でのコンサートに参加させていただきありがとうございました。朝富山に着きました。太陽の陽ざしが優しい、晴れ渡る、新しい季節となっていました。
コンサート前の高麗さんのビデオ講演会でお話しがあった歴史の縦軸のお話しは生命で分かります。先生、高麗さんと出会った生命はお2人に会い続けて自分のことも分かっていけます。先生のコンサート、講座、そして高麗さんの本音で生きて下さい講演会、ビデオ講演会がひとつの流れであることを実感しています。富山からの車の道中も、高麗さんのビデオ講演会を毎日聴いていると自分の状態と重なり気づかせていただける、と仲間から話しが出ていました。知らず知らずのうちにビデオ講演会を後まわしにしているときは世俗にはまっているというのは自分でも分かることです。
コンサートでは、先生のピアノを聴かせていただきながら、ただならぬ演奏を前に、『一体何が起こっているんだろう?』と意識的になった瞬間には頭はグラッと落ち、やはり分かりません。見る意識を認め、ただただ演奏に身をまかせました。その後2部、アンコールまであっという間に終演となりました。終わってからもまだ経験したことが言葉になりませんでした。が、高麗さんの書き込みを拝読させていただき大変なコンサートであったことを分かりました。自分の状態があるがままあらわれたコンサートの経験とイエス様の十字架は関係あるのを感じました。見て、解釈してなんていう傲慢な状態はどこまでも自分の都合で、先生と高麗さん、今先生とともにあられる聖なる存在とはまるで違う次元であり、裏切りの元と自覚します。
今は、新しい生命の経験をさせていただき、いつどんなときも『今ここに一緒にいること』を実現していきたい気持ちです。先生、高麗さん三鷹での尊い経験をまことにありがとうございます。