今ここから
三鷹の高句麗伝経験したことは、自分の生き方を全く変えないと生きて行けないということでもありました。自分の状況も自分が作り出している。
真とは周りに合わせたり嵌ったりせず、ごまかしたりせずそのまま表現するといういたってシンプルな事でした。わからないだろうから表現しないというのは嘘をついているのと同じこと
今困っていること、私の軸をそのまま表現できていないことで自分が作り出している。家族であっても、自分ですら見ている状態、知っていると思っている状態にからめとられて自分で鳥かごの中から羽ばたくことができない鳥のようです。
今大きく大空に羽ばたいていけるときが来ていても先を怖がって羽ばたけない鳥はやめます。明日は嵐がふきあれようと。
血圧が思ったより低くてふらついていたのは薬を誤って一度に飲んでしまったからでした。血圧の薬を発症以来のみ続けていますが、本当は薬に頼りたくはないのに薬に依存しているところがありました。発症以前に薬を自己判断でやめておりその当時働いていた事業所の検診で血圧が270まで上がっていました。普通の血圧計では測れない数値で看護士が驚いていました。頭が切れて当然のことです。それもあって薬はやめたいけれどやめることはできない、私にとっては必要悪でした。それと同じことが取り巻く状況にも起こっています。同じことを繰り返すことはできないのです。今生きていること自体が奇跡のようでもありますが自分で自分を縛っていることがまだまだあります。
三鷹の地で経験したことは初めてのような感動でしかありませんでした。過去の事として同じことを繰り返してはいられないのです。身を運ぶということは時差のないリアルに身を置くということでもあります。生命交流することでもあります。何百回奇跡を経験しているのに蓋をしていました。大きく羽ばたく時をありがとうございます。