人間
8月16日は狛江へ伺う前に姪っ子に会い一緒に食事をし屋外のキッズスペースで遊ぶ様子を見ていました。よちよち歩きの子から小学高学年くらいの子たちまで、みんな思い思いに思いっきり動き回り走り回っていました。絶え間なく風が吹く中を動き続けるパワーが壮快で、子どもたちが元気に育っていく社会を望み「高句麗伝説」へと向かいました。
高麗さんが着られたマーブリングお着物は空間にとけこみ境がなく一体となって、明るく華やかで空間に咲く花となり高麗さんの存在がさらに引き立って輝いておられました。先生はあれほどの長い間太鼓を叩かれてすぐ後に笛を吹かれ、クラリネット、サキソフォーンとどれも大量の息を必要とする楽器を何度奏でられたでしょうか…それも素晴らしい音と共に…。お二方を前にして、その表現を前にして、私は…と自問しすぐに生温くてやってられないと自覚し、人間になるべく始めます。これまでは自分は人間だと思ってきました。が、「高句麗伝説」にて現る高句麗王、高句麗軍団、王と共に生きた人々の魂の息吹に触れつづけ、真の人間がわかり、己の姿もわかり、真の人間となる道を選びます。とても長く素朴な色の笙の音はまろやかで何とも言えない懐かしさを感じ、映像とともに雲海が鮮やかに見え、天の限界が解かれた詩に長い長い年月の重みと、よろこびと、涙が入り交じりました。なぜ天のその先は閉ざされたのか、なぜ闇は生まれたのか、なぜ神が封印されなければいけなかったのか…。この世界に勝利されたいだきしん先生のことをわかりなさいと高句麗王は渾身の言葉で伝えてくださり、しかと受けとめます。大河が輝くとき、木々が輝くときを心に、人間も動くときと受けとめます。畏れ多くもまたとない世界が拓かれた狛江での「高句麗伝説」に身を運べ経験でき人生は変わります。真にありがとうございます。