人間の神秘
盛岡コンサートには、4月9日の盛岡コンサートにこられた陸前高田の方は、この度のチケットはお持ちでしたが、今月末まで、ご招待を受けた長崎での講演会を行うため、長崎におられるとの連絡を頂きコンサートは欠席でありました。前回はお会いできなかったので、やっと、今回お会いできると楽しみにしていましたので残念でしたが、今後もお誘い続けていこうと考えます。
この度の盛岡に越させて頂き、瑞々しい木々の緑、山々、川、美しい空、歴史ある盛岡の風土に包まれ、生命は癒やされ、ここに来てよかった、と感じます。この度は、6/23のコンサートでお会いしました先生とは全然別の存在のお方のように感じましたのは、私だけでしょうか。
第一部 「人体の宇宙への旅」
パイプオルガンでは、最後で、やっとのこと、邪魔者を一掃して頂いたと言葉にします。
第二部 「人体の宇宙への旅 つづき」
銀河鉄道に乗り込み、宇宙から銀河への旅をしつづけ、おそらく星雲の中に入ったのでしょうか。丸い輪の物体が数えきれなく物凄いスピードで走っていて、その中を銀河鉄道鉄道は動いていくのです。これは人体の宇宙なのでしょうか。すると、大きな神の波がやってきて、私を包み込み、神とひとつになる経験をします。涙よりなく、この感じは、幼い時、親に分かってもらえなく毎夜寝付くとき、哀しみを受け入れてくれる存在とひとつになれ、枕を泣いて涙で濡らし眠る経験と似ている、と言葉になるのです。いだきしん先生の表される世界を、子供の頃知っていたのかもしれない、と表現します。第二部では、先生の音を受けとめる、と、言葉になり、すると、ピアノの音は不思議な音になり、どんどん激しくなるばかりではなく、異次元の音へとなっていくのですが、ともにいくしかない、と、ともにあるのでした。今、好きでなくても、携わらなければならない、古い教育システムにより、知らず知らずと、頭をカチンコチンにされていたのか、音は閃光のごとく、目に見えるように、四方八方、頭脳を通り抜け、脳細胞の詰まりをほぐしてくれているようにありました。頭はなんのためにあるのでしょうか。人間は宇宙よりも広いところで生きていける、と、先生のお言葉よりお聞きしています。体制のなかにあっても、常にそう生きていければいいなと感じます。盛岡ならではの先生のコンサート、私は満たされました。23日のコンサートで、イエスキリストが復活し、内と外がひとつになる経験をし、現実世界では、新たな局面にきていることも、さらに、乗り越えるための、力をつける盛岡のコンサートであった、と感じ、ここに来てよかったです。世界が変わる盛岡コンサートをありがとうございます。先生、高麗さん、ありがとうございます。