KEIKO KOMA Webサロン

人間の「本来性」


高麗さんが1200度の釜の炎の世界を前にお辞儀し頭を垂れておられる姿がまるで写真のように自分の中に写っています。迎賓館コンサートを今日に迎えさせていただき、お招きいただけた事に感謝申し上げると共に、今朝からあのウエブサロンにアップされていた神の世界に向うかのようで少し緊張もするのです。迎賓館を出たときに美しい器となり下山させていただくことができるでしょうか。大いなる存在の御力、いだきしん先生の御力、高麗さんの御働きあってこその今なのですが、日々の自分のありかたも、問わずにはいられません。
先達受講させていただきました応用コース、そして存在論は大変な講座でございました。いだきしん先生が一般的に人がわかる言葉でお話されているその奥は、計り知れないものがあります。それはその後の自分の体の変化、内面の変化でわかり気づくのですが、今の時に起こっていることをしっかりと身につけ生きていけるようになるには、この場でいだきで経験を積んでいくより生きていくよりないことは明らか以上に明らかです。「本来生」「非本来性」という言葉、その意味が、講座受講し翌朝より自分の中で少しずつ浸透していっています。現代人はまるで生まれたときからヘルメットを被されたように「頽落」になるように、それが「良い事」と教育され、生きているとわかります。書ききれませんが、いっぱい刷り込まれ、創られた自分となり、それにも気づかず生きてきましたが、変われるチャンスが来ていることもまた真実であります。
存在論後、縄文の火焔土器が脳裏に浮かびます。本来性で生きていた縄文時代を生きた人が生みだした土器には、土器としての目的だけではない存在そのものがあります。今までガラスを挟んで「見ていた」感覚でしたが、自分の中の非本来性がそのように感じさせるのでしょう。
この生命の奥にある本来性を顕し生きるより、人生の意味はあるでしょうか。迎賓館で新たに生まれ変われたらと、望みを抱き本日も参加させていただきます。誠にありがとうございます。

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鹿のロースト
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Saint-Sulpice教会にて
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高麗恵子ギャラリー、東京高麗屋にて