KEIKO KOMA Webサロン

人間になること


高麗さんから、「来年死ぬと思ってやればいい」と言われて渡された12月11日のコンサートチケットは、かつて持ったことがない重さと共に、私のバッグの中にあり続けました。当日ギリギリまでコンサートをお伝えし、一人でも多くの方に先生のことを知って頂きたいと切に思ったのは、恥ずかしながら今回が初めての経験となりました。自分の内にある様々な葛藤は、不純であればそのまま相手の方の嫌な態度として現れ、自分の我が無くなれば同じ断られるのでも、まるで違うことを経験させて頂きました。私の言葉をきちんと聞き、行けない理由を教えて下さる時、笑顔になるのです。「はい」と大きな声で笑顔で言い、次の方へと迎えるのです。ある男性とは、「今日なんです」「今日なの」「はい」と二人で笑ってしまいました。販売枚数に繋がらない結果であっても声を掛けさせて頂いた分、いえそれ以上の大きなことを教えて頂いたのだと、先生の第一部の演奏の中で分かりました。以前、高麗さんがチケット売りのプロセス全てが、先生に受け容れて頂けるのだとの言葉も思い出します。やさしい光に包まれる時です。

パイプオルガンの音は、先生が講座で仰ったように、あらゆる全ての人々を、生命を救済して下さっていると、涙が溢れる世界の中に身を置いていました。先生が生命掛けで今行って下さっている、この瞬間に言葉では言い表せない畏怖と共に、世界が変わる場に居ると思うと、尊い一席を残すことなく売れなかった自分を考えます。次に必ず活かすと、そのために今があり今回のプロセスがあったと考え、先に向かいます。パイプオルガンの音の中で、突然茶色の瞳が見えました。誰の瞳かと見つめていると、それは亡き父の瞳でした。怖い位に透き通った綺麗な茶色の瞳で、私の知らない遥か遠くの先を見ていた父の姿が、そこにありました。その時は気づきませんでしたが、2011年12月12日、京都文化芸術会館での高句麗伝説が行われた早朝に亡くなった父の命日の前日であり、先生のパイプオルガンの中で会えました。ありがとうございます。

アンコールでの先生の人間技とは思えない、勢い溢れるピアノは、「もたもたするな。ガンガン動け。」と言われているようで、ぶっ飛ばされそうなその勢いが、なぜか嬉しくて可笑しくて、ニカニカと大きな口を開けて笑っていました。「はい、先生」と全身で応えていました。同じコンサートに身を置くのでも、こんなにも違うものかとまざまざと感じた、とてつもない場の経験をありがとうございます。

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インフルエンザにかかるのではないかと
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