人間と成る。生きる。
いだきしん先生、高麗様、昨日の全く新しいと感じる高句麗伝説コンサートを誠にありがとうございました。急ぎ帰らなくてはならず余韻に浸る時間がなくとも、いのちは即興であり同時に終わり始まった新しいいのちですから、「余韻に浸る」は死語になりました。めくるめく日々、日毎に人間として、を判る事にあい、人間なら、を考えるのです。本日もいのち救われる事が起こり、同時に「人間として」が試されることが起こりました。
先生のテナーサックスで現れ高麗様の言葉で現実に現れた好太王。高麗様の書き込みによりより昨日のことが畏れを持って迫ってきます。本当に現実に起こったことです。
女の人が安心して生きられる平和な世の中をとずっと願ってきて、ここよりないことをこれからもっとまだいだきしん先生、高麗様に出会っていない方にお伝えしなくてはと考えます。
美しい舞台、我が身照らす舞台よりの光、映像の即興の美しい様にも感謝申し上げます。誠にありがとうございます。