人間とし
昨日伺った入院中の知人に11日のマケドニアコンサートの太鼓らへんを聴いていただきました。ずっとかけていて偶然その場面になったのです。いのちすくわれました。コロナの時と変わらず面会時間は15分に限られており先生の音高麗さんの語りを流しながら手足をマッサージしたり愉気したりするにはあっという間です。いつも、えっです。体感は数分なのに。でも、その方がニコッとマスクでも目で笑ってくださるので来た甲斐があります。もうかれこれあしかけ3年。こんな時に生きている甲斐を感じます。
家族の介護や転院でケースワーカーやケアマネジャー、包括の方々と調整がすみ近くの家族に食事を届けようやくもう一つの平和活動に向かいます。向かうは八ヶ岳。縄文遺跡のイヤシロチで色々起こることに平静ではいられません。こんなにも長く縄文人の息吹残り今生きる人に元気をくれているところはないです。それが他の多くの遺跡と同じように近代化=管理=言葉の平板化になるのを恐れます。明日は発信しその足でホテルニューオータニに高麗様のおられる所「いだきを語る」に参じます。人間としいつもどこでも人間でありたいです。ありがとうございます。