人間としての強さ
アントレプレヌール・サロンをありがとうございました。
何度もお話し頂いていることでも、命の働きについてのお話しには、毎回感じ入るものがあります。職業人の前にまずは人間になれというお話しに今回もハッとさせられました。人間になりたいという気持ちも、いつの間にか日常に埋没してしまうことが多いためです。延命治療のお話しに、難病を患った母の死の時の記憶が蘇ります。生前、延命治療は行わないと本人の明確な意志を確認していました。けれども、いざ母の意識がなくなり、呼吸器をつけるか否か、その選択を家族として迫られた際に、一瞬、自分の気持ちが大きく揺らいだのを覚えています。母に生きて欲しいという思いからです。家族という立場でも、普段からの生きている状態が問われる瞬間でした。ましてや自分の生死の選択にいざ直面した時に、医療など他のものに判断を委ねることなく、人間としての選択ができるだろうか。先生の、「自分で生きることを決めることで人間になった」とのお話しに、深く感じ入りました。それだけ、普段から人間としての強さが求められると感じたためです。そして、医療に見限られた人とコンタクトをされる先生のお話は、医療を超えた人間としてのあり方に温かさが感じられ、胸がじんとしました。
日常でも人間が問われる機会が多くあります。気を抜くと、ついお金中心の頭に陥ってしまうことが多々あります。お金のもとは信用なので、信用される人間になれば、自ずとお金が集まってくると頭では理解していても、常に気持ちから動ける頭と体にはなっていないのが実情です。まさに、お話しにあった経済的合理性のジレンマと重なります。それでも、人間には「共感」という経済的合理性を破壊する突破口があることに希望を見出します。共感のもととなる命の働きが感じられるコンサートや講座に参加させて頂くことがさらなる楽しみとなりました。本日のコンサートもよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。