人間とし
朝から色々なところへ行き、多くを見、気づき,考える一日でした。人間は終わるように生きていることは何処へ行っても共通に感じ、やりきれない気持ちはあっても、私は三鷹のコンサートにて頭までもひっくり返ってくれたので、先へ向かい生きていく力があふれています。
家の近くで、親子二人乗りの自転車をみかけ、自転車を漕いでいるあまりの懸命さに、胸打たれ傍を車で通り過ぎる時、あっと声を上げ驚いたえりかちゃんの表情が忘れられません。愛ちゃんとえりかちゃんでした。二人の姿を見、瞬間涙ほとばしりあふれました。私にとっては生後3ヶ月の時に初めて会った愛ちゃんです。えりかちゃんは生まれた時に、私が初めて抱っこさせていただいたのです。子供達が生きていける社会、地球環境を作りたい気持ちでいだきをさせていただきました。当時の子供達も、子の親となる年齢となりました。私にとっては子供達が生きていける良い世界を作りたい気持ちはあり続け、成るまでやり続けていくと決めています。今日も涙と共に子供達が生きていける時代を作ると強い気持ちが湧いてきます。愛ちゃんとえりかちゃんを見、弘前で子供を育てた晴美様、先生の生き方、克哲くん、笑美ちゃんのやさしい生命をそのまま感じ、涙よりありません。
東京高麗屋にて郡山での「高句麗伝説」上映会を開催しました。先生の存在あらわる空間はあるがままがあらわれ、全ての存在があらわれます。上映会後のサロンではとりとめもなく、感じるままに他愛ない話しをさせていただきました。姪が、私の父のことを話してくれ、父の話題となり、笑い泣きをしました。姪が遊びにきた頃でも、家では食事を家族だけですることはなかったと話していました。近所の人が集まってきて、いつも玄関は鍵もかけず、誰でも入ってきて一緒に食事をしていました。今日のようにまだほとんどの家にテレビがない頃、私の家は夕方になるとテレビを見に、人が集まってきました。ふと私も同じことをしているのだと笑いが生まれました。上映会のように毎日皆でテレビを見、一緒に夕食を取っていました。借家の家賃を払えない人にはある時でいいからと言い、食事を振舞っていたとも姪から聞き、父がそこに居るように感じ、当時の空気までも蘇りました。他愛もない話しでしたが、高句麗の魂を感じ、ここまで導かれ、先生にお会いできたのだから、今さら、愚かな生き方などしていられないと、気持ちがはっきりとしてくるのです。そして皆で食事をしていたぬくもりを思い出すと、学歴や、お金、表向きのものに囚われている愚かな現代人にはなってはいけないとも強く感じ、人間としての心を大切に生きていかねば、ここまで生かしてくださったことに申し訳が立たないと感じ、先日のコンサートのメッセージ「一点の曇りなく」に徹していくことを心に決めます。
上映会中も仙台コンサート動員の動きを考えていました。皆で一丸となり、状況を動かしていくことより完売はないと見え、やることをやりきっていく為に、今日は夜遅くに帰宅しましたが、お手紙を書き、少し前に全て終わったところです。今後はチケット売りに徹していきます。最も曇りなく生きることができ、生命喜びます。人類の未来を作り、世界の平和を作れる活動です。関われますことは光栄であり、最高に徳があると感謝します。
過去に書いた文章や活動履歴を整理している時、これだけのことをしてきた事実を前に、何も感じない人や理解をしない人とは何なのかとはじめて疑問を感じました。今まで理解されないことに慣れ、そういうものだと思ってしまっていたところもあったと気づきました。私には理解するよりない事実と見え、長い間、人間としての本質が理解できない人がこの世の中で普通に生きてこれたのだと見え、終わってしまうことは止む無いことであるとあるがままが見えました。今こそ人間とし真っ当に生きることよりないとわかります。コンサート動員に邁進します。ありがとうございます。