京都高句麗伝説
京都高句麗伝説をありがとうございむました。
京都の会場は舞台と客席とおなじスペースとお聞きしています。琵琶湖高句麗伝説を経ての京都は舞台が琵琶湖より近いせいか、何故かどぎまぎしている自分がいました。頭のなかの黒い意識が露わになり、どぎまぎするのです。今に始まったことではありません。先生や高麗さんを前にすると起こる現れは頭の問題であると同時に一つの反応パターンとして自分で作りあげた癖になっています。
ジタバタしないように意識すると余計にジタバタするので目を閉じました。目を開けるごとに映る映像は高麗さんのお姿と先生が太鼓を叩かれるお姿です。意識と身体の反応の狭間のなかで気がついているのは普段の自分のことでした。このように頭と身体がばらばらで生きている状態をいつまで続けるのか生命の偽りを前にします。なぜ偽るのか、意識は今に居るのではなく、過去と、まだ起こっていない未来を過去に合わせて心配する。今母の身体に起こっている、病を必要以上に憂い心配する。そのこと自体が病に負けている。その母の心配癖が自分のこととして重なりました。
過去の生き方を身に宿し生まれ死んでいく人間の運命を紐解いていく真っ只中の高句麗伝説です。解いても解いても露わになる先祖の業は先生へと繋いでくれた徳でもあります。
京都高句麗伝説の最後は先祖の願いが今現れそして奈良へと続いている奇跡の3日間にある今でした。
うつらうつら眠っていたとき目覚めた瞬間あった夢は、今まで癖のようにしていたことが食べものとして現れ、悪いと知っていながらこんなにも気持ち悪い食べものにしていたことを自覚した夢でした。
これから奈良高句麗伝説へと向かいます。
京都高句麗伝説をありがとうございました。