京都応用講座
ビデオ講演会録画を見ているうちに、応用講座のライブの,ピアノの一音ががはじまりました。
すごい。
一瞬にして コンサート。
一大宇宙
ひろがり
静寂
大地も とどろき
ひとは器。。。
こんなすごい音の後にどんな応用講座になるのかしらとドキドキしました。
質問者の方々からの展開にいつもながら感嘆です。
ことば のこと。
わかってないのにわかること。
内側のことが言葉でわかっていくこと。
習ったり解釈したりするとわからなくなる。全くその通りとうなづくばかりです。
「主体」 たしかに体が主 と書く。
主である体をどうわかるのか、
体が何を発しているのか わけわからない現代。
ヒトの体の叫びは無視しながらお金の動きが優先され追及される現代。
体の叫び、わかること とりもどしていくのは
一人一人の今の任務ととさえ感じます。
体といってもアタマの中は、首から下と、どうしてこうも違う感じなのかしらとも考えました。もともとアタマと首から下は異質のものなのか、異質のものが別々に影響しているのかしら など 自分の弱いアタマは混乱します。。。
樹木の、、葉を落として余計なもの一切なくした幹のみの 主幹(裸樹) のイメージが印象的に目に浮かびました。(葉は、余計なものとは言ってもまた泥になって栄養になってより豊かになっていく大事な助けとなるお話もまた強く印象に残ります) 主幹 の姿は、、しっかり地に根を張り、天へ伸び。
天と地をつなぐ姿。
天と地と ことばと 同時にある わたし となり たし。。。
明日は京都 迎賓館 参加できることありがたく
お伺いさせていただきます。
ありがとうございます。