KEIKO KOMA Webサロン

京都応用コース


京都応用コースのライブ配信をお聴きしました。りゅうまちのことをお聴きして、私の父の父親、私のお爺さんにあたる人ですが、私の名前もつけてくれた人です。
私が覚えているのはいつも布団のなかで寝ていた人でした。親戚の集まりには長男の家に兄妹みんなで集まっても、このお爺さんはいつも気難しく、怖いという印象しかなく、孫にあたる私と話しをした覚えも殆どありません。いつも気難しそうに寝ていたからです。父から聞いて知っているのは、独学で神主の免状を取ったと聞いたことがありました。古代であったなら、神主になる素質を病気にされないで活かせたのだろうと思いました。何歳からりゅうまちになったのかわかりませんが、父がりゅうまちの本当のことを知ったなら、父もお爺さんのことをもっと理解できたのかも知れません。3才のとき、自分は家出をしたらしいです。覚えていませんが、親から聞いています。その後も子どものころ何回か家出をしましたが、すぐに怒る子どもだったのです。やっぱり家に帰りたくなり、小さなお菓子屋さんでお菓子を買って帰り、親や妹がお菓子を買ってきたことが可笑しいらしく笑っていたことを少し覚えています。小学校に上がり、高学年になり、男の子と取っ組みあいの喧嘩をして、母が職員室まで先生に謝りに行ったことはよく覚えています。反発心がとても強い子どもでしたが、3才までの本来の自分をコンサートでもっとわかっていけることが希望と感じました。直観を生かしていけるのにトシは関係ないのもこれからの人生諦めることなどない希望が湧いてきます。興味があることはまずやってみようと決めたこともあります。自由な発想で生きていきたいです。
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東京高麗屋にて
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伝説
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ヤルガッチャフェ