京都コンサート
会場に着くやいなや、ここにいる不思議、いだきに出会えた不思議を感じていました。この世に生まれ、親はいても生きていける環境がなく、大変つらいときに、密かにいつか出会えると切望し心の奥そこから探し求めていた生きていける世界、それがいだきとの出会いであることを出会った当時を思い出すようにして感じていました。いだきとの出会いこそ生きていける世界と言っても、なかなか人には伝わらず、仕事をする、というこの世の具体的な形をもって表すよりないと考えるようになっていました。人は言ってもわからないし、自分が経験するのと同様に人が経験するわけでもないし、とあきらめるような気持ちが自分の中に内在していることを感じていきました。しかし胸の奥には、自分が心から切望していたように出会いを切望する魂があることも感じていました。そして私自身が同じ環境、同じ世界に留まっているために、出会えないのだと感じていきました。
ふと自分のために生きることの切なさを感じ、人のために生きてこその生命であると感じました。同時に、人のためと言っても、そこでは自分のやりたいことを実現していくことの大切さを同時に感じていました。やりたいことをやり続け生命の明るさを絶やさないことの大切さを感じました。
コンサートが第一部から第二部へと進み、さらに奥深い世界に誘われていきました。そのときには、心になにもないという状態が実現していました。心に壁があるから、その壁によって内と外が分けられ、内側に空洞が生まれていることに気が付きました。心に何もないと、そのまま在るという素晴らしい経験ができます。人間とはどのような存在なのか、生命の働きとはどのようなことなのか、先生の演奏はその答えを表しているため、そう簡単に理解できることではないのだと感じました。とても高尚で難しいことに取り組んでいるという喜びが生命の奥から沸き起こっていました。人間の存在を問い、真理を問い生きる魂にとって、先生の演奏は、本当に驚きに満ちて聞こえると感じていました。一人ひとりの生命はひとつひとつ資質、個性など異なるにも関わらず、愛を実現すること、美しいことを実現することにおいては共通の原理があることをその演奏から感じ、驚きました。共通の原理があるから、生きることの善、悪を語れるのだと感じました。はじめは身近な人のために、そして暮らしを営む地域のために、そして能力が上がるということは、さらに国家のため国民のために、さらに世界のため人類のために、さらには、未来に生きる人のために考え生きていけるようになることだと感じ、そのように成長していきたい気持ちが生まれていました。
コンサートの序盤に自分自身の中に感じた自分のために生きることの切なさはとうに超越し、自分自身を超え、人間という枠も超え、さらに大きな存在に包まれてコンサートは終演しました。
新たな縁をつくるために未知なるところへ飛び込む勇気を得、帰路につきます。
心よりありがとうございます。