京都コンサート、迎賓館コンサートをありがとうございました。
3月は、岡山でLIVE中継でのコンサートを、経験させて頂きました。コンサートの前は、息苦しく重苦しく感じていても、コンサートが終わる度、体が軽くなります。自分の内面を変えることより生きる道はなく、生きていても、価値のない命と、思い知らされる日々です。
京都コンサートホールのパイプオルガンは、パイプの振動まで全身に響く会場なので、LIVE配信では、得られない体感です。受講前に参加した神戸のパイプオルガンが私にとって、3度めのコンサートでした。そのパイプオルガンで、初めて自分の酷い状態に気づき、神経が繋がり感覚が戻ったのです。その経験に驚き、すぐに受講し、命、助かりました。いだき講座受講中に開催された大阪のいづみホールのパイプオルガンでは、聖書の創世記から核弾頭ミサイルまでの、物語が、パイプオルガンから聴こえ、身が震え、この演奏された表現こそが「アート」で、はじめてArtという言葉の意味を、わかりました。
4月1日の京都コンサートでは、日頃の頭の燻りが、頭いっぱいに充満し、睡魔に襲われていました。頭が垂れていることも気づかず、大きなエネルギーが、「ボー」という爆音となり頭の中に響きました。フイゴのように、頭の中に風が送られ、頭を占めていた闇を吹き飛ばしてくれる、凄まじい音でした。頭の中に巣食ったクダラナイ事柄が、微塵となり外に出て行きました。そして、我に気づき、身を糺しました。
この経験も、すっかり忘れ、翌日を過ごし、これでは、何のために参加したのかと、無駄にはできないと考え始めました。そうしていると、薪ストーブの炎が勢いよく燃え始める瞬間と重なり、私は、この体感を薪ストーブの炎に求めていたことに気づきました。今年の冬は、薪ストーブの炎に、魅せられ夢中で火を燃やし、暖をとっていました。燻っている薪ストーブの中が、ボーと音を立て、火が燃え立つ瞬間は、得も言われぬ一時です。点火する、その瞬間の「何か」を、求めていたのです。
その「何か」は、何なのかと、問うていましたが、迎賓館コンサートが終わると、頼まれた仕事に頭をとられてしまうという状況でした。それでも、その後、高麗さんのWEBサロンを拝読し、ビデオ講演会を拝聴し、コンサートの経験をわかっていくことができました。「エクソダス」というコンサートメッセージでしたが、その「エクソダス」の前に起こる「何か」は、この「ボー」という音なのです。やっと、頭の中で、繋がり、言葉もわかっていける高麗さんのお話に、ありがたいばかりです。
さらに、今日の京都応用コースも開催されます。誠にありがとうございます。