京都の催し感謝申し上げます
本日はアントレプレヌールサロンに参加できていないのですが、京都にて連日のコンサート、講座の経験を書き込みできておらず、やはり少しでもと考え書き込みさせていただきます。
京都では、頂いた年賀状のお言葉にもありましたように、またビデオ講演会でもお話された御池通りにて見えたと仰るない行く末のお話のように、普段世界に乗っかる様にしている自身の無自覚なことに危機を分かり、更にはっきり分かる必要があると自覚させていただきました。
またなかなかその場で理解至らないこともありますが、高麗さんの講演会や書き込みで理解深まると感じさせていただき感謝致します。
コンサート、存在論は頭の血管が切れそうな痛みを感じていました。頭が作り出したことの余計なことを自覚させていただき感謝いたします。
あと個人的な経験になりますが、先日、思い切って気になっていた上狛の高麗寺跡に行きました、高麗さんの言葉、講座、コンサートでの経験があってこそ分かることと感じ、また高麗寺跡についてどのように仰られているか存じていないのですが、私には印象深いことで書かせていただきます。
よく来たね、と声がして迎えてもらったように感じ、過去はなく、何もないところから始めたらよいと、本来超えて生きられるのが人間、とそこにいるだけできこえ分かるような場所で、お正月経験させていただいたことが深まるようでした。
優れた人々、消えない精神が残るように生きられた人がいたから、今もこうして伝わるのだろうと考えました。いだきに会えたからこそ経験できたことです、ありがとうございます。
帰りの電車では人は身体が悪いと分かるように次第に重くなり、毎日何もないところから元気で生きるには、まず自分は掃除しきれいにして生きようと決めるのでした。
先生の言葉、高麗さんの言葉、受講生の方々の言葉、偽りのない言葉や表現があり感謝し、尊敬の気持ちです。
ぐずぐずしてしまっている私です、でも自分も言葉を正し表現することに希望を見出しまた今年を始めさせていただきます。
遅れましたが京都での新年連日の催しを誠に有難うございました。