京都にて
京都での存在論、死について、ビデオ講演会に参加させていただきました。
衝撃的なお話です。イエス キリストという1人の男の人が世界を変えたその仕組みのお話は2000年続いている事実からとても重大なことです。私は、典型的な日本人であり、全くキリスト教を理解できていないでいることはいけないと感じました。聖書を読んでみましたが、以前は興味が持てずにいましたが、もっと知りたいです。
心、魂がきれいでないと神に出会わない。私たちも会えるはずなのに、なぜ不純な生活に戻るのか?なぜだろうか?考えてみました。今までそのように生きているから、周りもそのように生きてるから、慣習のままに生きているから。古い生き方をしているから。新しい生き方がわからないから。新しい生き方だから、別のことをやってみることから始めてみます。いだきは信仰以上なのは、信じる必要がないことでわかります。自分でわかることよりありません。なので、コンサートに初めての方が来られてもわかるかどうかは未知であり、経験できなければ本人にとってはなかったことになります。そこをどう考えたら良いかをずっとわからずにいましたが、今日わかったことは、きちんと言葉で伝えることです。まずは、頭で理解すればいいのです。そして、わからなければわかるまでコンサートや講座に来れば良いのです。高麗さんがビデオ講演会でお話しされたように、「心は宇宙よりも広い」という言葉も、誰が話すかによってそのまま受け入れることができるかどうか違います。ある講座で、先生がそうおっしゃった時に、私は驚きました。人間って、なんてすごい存在なのかと。自分では、今わからなくてもいつかはわかりたいのでわかる方向に生きていこうと望みます。先生、高麗さんにの言葉を直接聞く機会がたくさんあるので、本当の言葉を多く経験しています。他の人が使う言葉は本当とは聞こえないことがよくあります。私が使った言葉を覚えていて使う人もいて、その違和感は気持ちが悪いですが、社会ではみんなが当たり前にやっていることです。私の言葉が生命と一つの本当の言葉であれば、人はそのままを理解できるはずです。理解できれば、この生き方に希望を感じ、わかるまでコンサートにも参加したいと望むのではないかと考えます。
今日は、迎賓館のコンサートに参加させていただきます。先生がもっと表現するためにイタリアまで行って特別に作られたピアノの音の凄さに触れたなら、周りと同じに生きていられるはずはないと、お話からも良くわかります。いつもファチオリさんと飲まれたワインの話を聞くたびに、どれほど美味しいワインだろうかと想像し、ワインは普段飲めないのですがとても飲んでみたくなります。豊かな香りがするお話しです。ありがとうございます。