京都にて
本日京都に来させていただき応用コース、存在論に参加させていただけたこと心よりありがとうございます。昨日のジェンダー講座に出席できなかったこと申し訳ありませんでしたが、ジェンダー論、性愛については大変重要なテーマで、私自身真っ当に、芯を持たなくてはいけないことだと痛感しています。
応用コースでは2つの時間をお話しくださいました。因果のめぐる過去から現在へ流れる時間と、突然好機が訪れる前者とは別次元の瞬間的時間です。人間の生命は過去の因果を繰り返すように誕生し生涯を生きるようになっていることを解明、解決してくださるいだき講座について改めてお聞きして、過去の歴史によって形成された人格の核となっていた運命は解放していただいたのだと改めて理解が深まりました。運命を解決していただいた生命だから、好機はしょっちゅう訪れ、今までに経験したことのない場面にどんどんと遭遇していける人生を歩めていることを知ります。出会い、関係性、自己の感覚は、過去の歴史的な要因がなくなると同時に新たなものとして起こる経験をこれまでも何度も経験しながら今を生きています。新たな次元に飛躍できることがあるから生きていこうと前向きになっていけます。
まさに男女関係についても今までにない新たな経験や感覚を求めて、探し続けています。宮台真司先生の対談式の著書を早速手に入れて見ていました。私の中ではタブーなこと、禁じられた世界に触れている感覚が先立ち、読み進めていくには抵抗感を覚えるところから始まりました。しかし次第に自分には学んだという土台がないために、煙に巻かれるようにして騙されたり嵌ったりしてきているのだと感じました。何が良い男性で、女性とは一体何であるかを知らぬまま自分の感覚だけで進むことは危険なことだと感じました。自分の狂った感覚も、それが狂っているのかどうかをチェックできる土台もそれを共有できる同性との関係性も持っていなかったからです。宗教的感覚や男性に対する劣等感、親との関係の歪みなど元々歪んだ感覚の中からは未来は見出せないのは当然だと思います。男性に対してコンプレックスを持ちながら、男性がいないと生きていけないと錯覚していたことも明らかにわかりだしました。先日の府中のコンサートの中で、子供達の将来を作るのは女性達の力が必須であることを強く感じる生まれて初めてての感覚があったから今日の先生の言葉は身の内に届きました。女性達が力を合わせて子供を育て子供達の将来を築いていくのだと感じ、女性が孤立してしまう状況を作ってはいけないですし、男性を当てにすることなど無理なことだと感じました。先生の仰るように、女性達も自分たちで仕事を作っていけるような環境になりつつありますし、子供を育てる環境も自分たちで自らつくっていけば良いのだと感じます。社会の中に女性達が活躍する場が広がってくれば自ずと男性の在り方も変わるよりないのだと感じます。自分を大事にすることや、自分の感受性を鈍くしたり壊すようなことは初めから間違いであることなど、当然のことが分かりにくかった自分の感覚が不思議なのです。
日本で身近に起こる問題も、世界で起こっていることも、自分のこととなれば全て答えは共通のところから見出して行けることは本当に希望と感じます。先生は世界中あらゆる神々とも融合し人間共通の源を表現されることも知っています。それは心からの希望であり、対立する必要もなく共感して行ける究極的な最後ではじまりの解決の道だと感じます。先生の存在も高麗さんの存在もわかってもわからない大変なお方に会っているのだと感じます。だからこそ、自分は自分の存在を現し生きることなのだと行き着きます。自分の存在は、講座2日目に出会った光であり、その光を生きることが生きる道だとわかります。高麗さんに書いていただいた生命の光景「道を極めてこそ生きられる生命 真」という言葉をいつも目に入るところに置いています。書いて頂いた当初は、道の意味がよくわからず、何が道なのかと考えていました。しかし今、道は自分の生命の光を生きることであり、そこから外れることは死ぬほど恐ろしいことであると学習しました。
存在論、応用コース、ジェンダーと、多岐にわたるお話と内面の変化に、帰宅するといつ京都へ出発し、何日経過したのか一瞬分からなくなりました。まるで何日も経ったかのようなのです。一度東京へ戻りまた明日京都コンサートへ参加させていただきます。いつも本当にありがとうございます。