京都にて
存在論では、何度もハイデガーの「存在と時間」についてお聞きしていました。自分にとっては難しく、哲学用語や歴史的な背景も知らないので、全く読める気がしませんでしたが、昨年から読んでみようという気になっていました。時間に限りがありましたが、今回も存在論に向かう前には少し読んでみたので、これから続けてみます。
先日の杉並公会堂コンサートでは、もう生きていてもしょうがないという思いが強くあったのが、いだきしん先生の演奏に身を任せていると逆転し、最終的には感動、感謝で終わる事が出来ました。このように思う日が多くあり、自分では何にも没頭出来ず暇だからと考えていました。応用コースにて、フローの話をお聞き出来て有り難いばかりです。自分の過去の経験からそう考えましたが、ひと度、いだきしん先生から話をお聞きすると、そんなに簡単でも単純でも無かったと感じますが、今は気持ち新たにしてスタート出来る事が有り難いばかりです。いだきしん先生の老人ホームの話から、自分の父親との関係と最近あった出来事について考えました。病気が進行する中、コロナ禍にあり移動一つ難しい現状がある事や、何かをしたいと思っても、実際にはありがた迷惑であった事や普段は心触れていないように思っても親の温もりを感じるとこの上なく悲しくなり、号泣するしかなかった事など、最近においても様々な事がありましたが、家族についても気持ち新たにし、向かう機会があり感謝致します。ありがとうございます。今日のコンサート、幻のコグリョカフェに参加します。宜しくお願い致します。