京都にて
迎賓館でのコンサート、ビデオ講演会、そしてお家ブティックの物語をアップして下さり、ありがとうございます。
迎賓館のコンサートでは、低音がお腹に響き、生きる基礎が出来上がっていくような感覚です。アリランのような、懐かしい演奏に胸が震えます。後半の前に先生が「何をやっているのか?」とお聞きになり、なんと答えて良いのかは、わからなかったです。高麗さんにお聞きしていることで、人が生命を犠牲にしている状態が、感受性の良い人の重荷になってしまうとは、望んでいなくても、自分も負担をかけているのだろうと考えます。先生のピアノを聴き、本当のことをわかって生きていきたいと、人間とは何かがわかる唯一の場だとわかっています。人とお話ししていて、萎縮している感じから、私にはそれをどうすることもできないことは良くわかるので、解放できる人がいることをお伝えしないと、どの人もこのままでは終わってしまうと感じます。どこへも行けない、と感じます。一度でも多く、先生、高麗さんにお会いできる機会を作ることを考えます。明日の「死について」は、受講生でなくても先生のお話しを聞ける機会だと気がつき、お声がけするとお二人が参加されることになりました。京都のコンサートにも来られます。ビデオ講演会で、お母様の命日にスタートするとお聞きし、私も新しく生まれ変わりスタートしたいです。
狐のお家ブティックのお話しを読み、高麗さんの愛溢れる温かいお気持ち、物語のように表現される中の真実に胸動き、優しい挿絵に心温まります。母も亡くなっても共に生きていることが、とても嬉しく、何度も母に話しかけてしまいます。関西に来ると、言葉は関西弁に戻りますが、生まれ育った言葉で真実を語れる時と感じます。ありがとうございます。