京都にて
京都に来てから特に、東明王様の存在を強く感じるようになっています。京都事務所にて壮大なドラマの高麗恵子語りー人生に参加しながら見上げた五女山の城壁の写真から立ち昇るエネルギーは縄文のエネルギーと重なっていました。重厚で深く、強く、だけど大陸に感じる争いなど微塵も感じず、異なるモノを大いなる好奇心で包み込み新しいエネルギーを生み出し生きるぬくもりと壮大なエネルギーを感じずにはいられないのです。それが愛と体感で理解し始めています。
先日の京都コンサートでは一部では火山の噴火のごとき感情が溢れだしてどうにもならず、二部にてやっと落ちつきだしましたが何かがまだありました。そして迎えたアンコールにて流れたアリランのようなピアノの響きに突然涙が流れて落ちました。先生のピアノとともに、刻む拍手のリズムがずれるたびに、私の中で生まれた言葉は、ずれた愛は悲しい、と言う言葉でした。言葉を自覚した途端、涙は止めどなく流れ続けました。その涙は言葉とは裏腹に温かくて驚きました。生まれた言葉は自分の内と一致し暖かくスッキリし、無自覚だった自分を取り戻しました。迎賓館のコンサートでは晴美様の存在、人間存在、魂の存在、かけがえのない大切な経験は深くてまだ言葉が見つからないのです。だけど人間として目指す大切な経験をさせていただけた喜びと感謝は胸の真ん中にあります。
京都に来る前から、気を引き締め身を清めないと危ないと感じ、実際京都に来てからも様々に起こる事が事前に教えてくださいました。いだき講座を受講し運命から解放された私たちの感性は素晴らしく、感じたことを素直に受け入れ、未然に防ぎ未来を変えられる力がある事を教えてくださいました。様々に起こる事は全て自分の力に変わる事を教えていただいた京都の日々でした。
先生、高麗様、いだき講座を開いていただき、人間とは何かをいつも教えていただき助けていただき、真にありがとうございます。感謝に絶えない幸せな毎日です。ありがとうございます。