亡国の危機から
ビデオ講演会をお聞きして、本当の危機にあることを改めてわかり、今月にあるジェンダー講座へ向かうとも感じられる明るみに出る出来事も前に、いだきに来て体で学ぶ人間性を身に付けていくことの急務であること身に染みます。昨日のコンサートの、第二部のメッセージで、感情についての表現がありました。未熟な私には『単純に感情的に反応しているだけでは自由の何であるかということはわかりません。』は、まさにその通りと感じ、『ただし、ありのままの感情は確かな手がかりを得る機会になります。』も、自分だけのことに囚われなくなれば、感情を確かなる指針としていけるのだとわかりました。他者との関りで怒りという感情を感じたとき、爆弾を落とすだけでは関係を壊しますし、かといって柔らかく表現してもあまり伝わらないという手応えの場合、どう良い関係を築いていいものかと、粘り強く訓練の必要があります。
昨日のコンサートでは叱られている感じがしました。特に第一部です。現実の中で流れが良くなってきていると感じている時は、よくコンサートでこのような感覚を受けます。独りよがりになっているよ、これまでの成功とは、これからの成功はわけがちがうよ、一人で突っ走るのは間違っているよ、と、警告をしてくださっているようです。仕事をどうやっていくかと必死で答えを探し椅子に座っている状態は、一見必死なのでこれまでのダラリとした自分と比べたら良いような気もするのですが、そうではなくて必死なときは独りよがりの頭で部分的になっている、それは間違いであるという体感も、今回が初めてのものではなかったです。必死になると全体と離れていきやすい癖があるのだと自覚します。
筒となった体に古代日本人の音と感じる笛の音を響かせ、全体と一つとなる体感を学びました。ありがとうございます。