KEIKO KOMA Webサロン

 地のちから注がれ


三鷹公会堂での先生のコンサートを大変ありがとうございます。今日は、昼過ぎの六本木でのビデオ講演会の途中からひどく具合が悪くなり、いつもであれば動けなくなる状態でしたが、先生のコンサートがあるので、体をひきづるようにしながらも会場にて準備をしていました。メッセージが完成し、スタッフが持ってきてくれ、あまりに予想外の尊いメッセージを読ませていただいた時、全身水をかぶったような体感となり、強い衝撃を受けました。

第一部「はじまる地」

「三鷹は国津神の地。歴史以前から三鷹一帯、国津神の地です。遠い遠い昔に国破れた民達が自然と各々の生きるちからがひとつとなり、いずれの時か再興ができる地を求めて、再興ができる地。国津神の地。再興にとどまらず、子孫の未来が全人類に未来を創世することを期してこの地を選びました。「地のちから」なくして、どのような事業も成功はおぼつきません。長い長い時間を経て「はじまる地」ではじまる時に集いました。はじまりの時ではありません。はじまる時です。」

国津神という言葉を知らずに先生に教えていただきました。読んだ瞬間は漢字より国は神がおられる地で作られると感じました。それで三鷹の地がそうであったのかと大変驚いたのです。天孫降臨の地ではなくても神が降りてくる地を昔の人は探し求めていたという内容のお言葉に魂震えます。

演奏は、おそらく私だから感じる独特の感覚まで表現される先生はすごいと感服するばかりでした。先祖代々この地で生きてきた土地のエネルギー、香りがあり、驚くと同時に懐かしくて胸揺さぶられ、言葉によっては言い表せずに、涙よりなくなります。生命の内で知っている空気、風を表現されてはじめて三鷹の地のエネルギーであると自覚できるのです。地のちからを表現し続けてくださり、私はお腹の底から地のちからが注がれている体感でした。図形では生命の真ん中に地のちからが注がれ、生命の内に地のちからの柱が立つように見えました。中身を入れ替えていただいているようにも感じました。2部のメッセージに建物という表現がございましたが、具合の悪い原因を調べた時、灰色の大きな建物が背中に乗っかっていました。偽りでも誤魔化しでも作ったものは頑張って残していくという人間の生きている状態でした。先生のピアノの音が生命の内から壊してくれましたので、建物から壊すのではなく、内から壊すとは先生よりできない神業と感服しました。途中から、火事が怖くなり、ハラハラし心配ばかりがはじまりました。3回も家が火事になったことの記憶ではなく、今火事を起こしたらどうしようと居ても立っても居られない感覚となったのです。八坂「高麗ギャラリーカフェ」を作った時は、火事でも出してしまい歴史的な八坂の塔を燃やしてしまったら取り返しのつかないことになると毎日心配していました。演奏をお聴きしていると、洪水が起こったり、地震が起こったりと自然災害が起こる中を人間は生きてきたことの凄さに頭が垂れました。困難、患難があっても、人間が暮らしていけるように生き続け、はたらき続けてきてくださったことに感謝あふれます。私は目に見えない霊魂が見えますので、時々、霊魂がゾロゾロ出てきているという表現をしてしまうことがありました。一人一人の生命であり人生であるのに、ゾロゾロとと、表現してしまうことの愚かさ、冷たさを思い知り、誰にともなくお詫びをするばかりです。人間とならねばいけないと心から誓いました。

第2部「はじまる愛」

「人の出会いは地上で会います。一見とんでもないほど豪華な建物の中で会っているように見えても、本当の意味で絢爛な建物でないと、出会ってもやがて崩壊し、悔いが残ります。一見今にも壊れそうな山小屋であったとしても、地が豊かであれば、永遠に続く愛をしっかり経験し生涯素晴らしい記憶として生き続けるでしょう。愛が育まれ、すべての生命体に光をもたらすのです。言うべきことは沢山あります。今は「はじまる愛」をお楽しみください。」

一見とんでもない豪華な建物とはこの世の地位、名誉やお金により作られる価値のことかと考えました。そして「一見今にも壊れそうな山小屋」という表現からは、私の勝手な解釈ですが、私がいだき講座を始めさせていただいた私が住んでいた古いアパートのように感じ、苦笑しました。まさかあんな古いボロボロのアパートの一室から世界を変えるいだき講座がはじまるとは、そして永遠の生命を得るとは誰が想像できるでしょう。それでも足を運んでくださった受講生の方々は今もおられます。演奏により、全身をおおっている作り物が壊れていく体感でした。2部も内から変わっていきました。内に愛の風が吹き、愛により生命の内が一掃され、頭の中まで一掃されていきました。最後には、頭の中に私が蒼い存在と呼ぶ存在まで現れてくれました。もう体も頭もガクガクでありくらくらです。椅子に座っているだけで精一杯でした。放心状態のように椅子に座りながらお聴きしましたアンコールの素晴らしい演奏に深く感動します。三鷹の地でなければ生まれない音であり音色と感じました。それも同じ三鷹の地であっても風のホールの音とも違う、ここ、三鷹公会堂であるからこそ生まれる深く神秘的な音に魂揺さぶられます。勿論先生は土地土地で全く違う音が生まれますので、当然のことですが、地のちからと感じるエネルギーが生命の内に入り、「国津神の地」がわかってきたのです。「国破れた民達が」という表現により表してくださいましたが、先祖は国を失い、生きる場を必死で見つけ三鷹の地に住み着いたのだということが映像で見えるようにわかり、涙よりありませんでした。その大地の上に生きる私は、「いずれの時か再興をする地を求めて、再興ができる地。国津神の地。」という先生のメッセージが生命をもってわかりました。はじまりではなくはじまるという先生のお言葉も生命をもってわかる経験をさせていただきました。はじまりでは永遠と始まりを繰り返すということがわかり、「長い長い時間を経て、はじまる時に集いました」と書いてくださった意味がわかります。

今日と明日の三鷹公会堂でのコンサートは人が動かず、動員が難航しました。はじまる前に背中にかぶっていた灰色の巨大な建物に象徴される過去の人間の生き方から脱却できなければ、生きていけない時代であることを誰もがわからなければ生きていけません。あの巨大な建物を先生は生命の内に地のちからを注ぎ続けてくださり、自ずと崩壊するようにしてくださいました。真に人間が生きていける国を作る力が地のちからとわかります。

コンサートが終わり、皆様をお送りさせていただき、ビデオメッセージを収録した後は、どこかの地方のコンサートホールのように感じました。まわりは田んぼではないかと感じる静けさでした。肌に触れる澄んだ冷たい空気は懐かしい五女山がある桓仁県のようです。高句麗発祥の地と同じ空気、風、エネルギーでした。とってもうれしく、とっても不思議な気持ちでした。ここから新しい国創りがはじまるのだと感じました。すでにはじまっていますが、先生のお誕生日コンサートから拓かれた新しい世界の真の国創りです。

楽屋の廊下で先生のお出ましを待っている時も桓仁県独特の澄んだ冷たい空気の風が吹いていました。五女山のふもとで先生をお待ちしているようでとてもうれしく心がときめきました。明日も楽しみでなりません。ありがとうございます。

 

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