中心
「高麗恵子語り」ライブの二日目を、オンデマンドで拝見しました。高麗さんが仰るように、「中心」を考えることが多い毎日です。相手の話を聞いている振りをして、鵜呑みにしている。言いなりになって、意図したとおりに動かされている。ところが、利用しているつもりが、実は利用されている。どっちがどうなのか、どっちもどっちの構図が、よく見える毎日です。弁が立つようでいて、よく聞けば理論的でない思惑に過ぎないと分かります。今は、よく見て、よく聴いて、そこに濁りがないかを見極めることが、何より大事と気づかされます。毎朝、コーヒーを淹れる時に静かに見つめると、中心から広がる波紋は、光の螺旋を描きながら美しい広がりを展開しています。何ものにも惑わされることなく、中心から広がる生き方を身につけるよう、毎日教えられているかのようです。朝、ライブでの先生の音を聴いてから出社した一日は、スパッ、スパッと余計なものが切り落とされるかの如く、そのままの在り様がよく見えました。中心を外すことなく、隙なく生きることが肝要と分かる今です。