コグリョカフェ、京都コンサート、ありがとうございました。コグリョカフェにて高麗さんに見て頂いた生命の光景から前回良くてもまた中心から外れて生きてしまっていることよく噛み締めました。出来ることを繰り返しやる事が自分を疎外していくこと、本当にと感じました。自分で薄々気がついてもいるのだと感じます。少し前にコーヒー販売をしている時になんとなく物売りになっているように感じ、なんか変だなと一生懸命状態を整えていた時になんですぐ外れていくんだろうと感じました。また、このところ名刺交換をさせて頂く方の多くの方が皆さん、メインの仕事以外に地域に貢献するような活動や自分の仕事を活かして地域で採れる形の整ってない野菜の加工工場を立てるなどの第6次産業をされ始めていたりと社会や地域に貢献するような仕事もされておられるのでNPO高麗の話しも良く聞いてくださり、マルシェでチラシや宣伝していいんじゃないと言ってくださいます。DMも読ませて頂きますのでどうぞ送ってください。と言ってくださいます。が、コンサートに速攻いらっしゃる方はなかなかいません。みんな社会に貢献する事業をそれなりにされており、「それぞれ道は違うけど目指すところは同じだから情報シェアして頑張ろう」などと言う人もいます。しかし、何かがちがうようにも感じます。なんでなんだろう、自分の言葉が伝わらないからかと色々考えていた時に、「できているつもり、やっているつもり」と言う言葉が出てきました。自分と共通のものがあるからだと認めました。が、頭で認めただけでちゃんとわかってなかったのだと思います。高麗さんの詩を頂き、コンサートまでは色々考える時となりました。中心で生き続けるというのは止まることなく新たなことを次々やっていくことと感じ、2回くらい前にコグリョカフェで「中心から中心」と書いて頂いたことが浮かびました。出来るようになったことを繰り返しやっている事実を受け止め、外さないようにとやっているうちは外れていく可能性がある生き方なのでしっかり中心で生きる生命にならなければと感じました。コンサートでは気になっている血圧のことが出てきて困りました。そうでありながら身体はどれほど緊張していたのかと感じるほどほぐれていき、心地よく寝てはいないのですがお母さんの胎内にいるような心地よさで二部まで30分くらいで終わってしまったように感じました。今日がなかったらアウトだったのだと心より感じ帰路に着きました。
まだどうしたら良いのかと言うのはわかりませんが昨日の誕生日からの今年一年は中心で生きる真の人生を身につけようと感じております。ありがとうございます。