世界へ
昨日の午後は静岡へ仕事で行っていたのですが、先方より『今日はこれで』と打ち合わせが終わり、17時の新幹線で六本木へ向かい、パリでのコンサートの上映会への参加がかない、とても嬉しかったです。
パリでのコンサートは、星の瞬きのようでフランス語の音のようや美しい光の音…と感じておりましたが、大変な場所で先生が表現なさったのだと高麗さんのお話からもわかりました。その6年前にパリに行った時、空港に着陸してから頭痛と吐き気で2日倒れていましたが、ちょうど盛岡で応用コースが開催されていた時分にすっと身体からしんどいものが抜けていきました。先日、伺いましたブラジルの方が講座を受講され国の状態をわかられ、解放されていかれたというお話からも先生のお働きをわかり、世界の大変な状況でも日本でどう生きるか日々問われます。このところのサロンやビデオ講演会では世界に向かわれる高麗さんのお話に生命が躍動し、とても楽しく、生きる力が湧いてくるのです。
先週には、縄文の生、エチオピア・ハダールのFATHERドキュメンタリーサロン…と映像を見ることができる幸運にとても感謝しました。社会が病の状態であり、多くの人が見ているテレビは、制作側の方々も心身ともにお辛い方や、制作の基準を決める考査部の判断が狂っていると感じるのだと現場にいる人からも聞いています。まともな精神で生きること、中心で生きるということは、コンサートや講座を経験しているからできること、わかっていけることです。仕事では、これまでにないことを超えていくと、生きていける世界が拡がることを経験していきます。
パリのコンサートで先生の表現される音から出会いを待つ魂、生命の流れを感じました。世界の方々が、映像や配信等でもどうしたら先生の演奏、高麗さんの表現にふれたり、出会えるだろうかと考え始めています。
先日の存在論でお話を聴いている時、ふとこのあたり行きたいな…とみえた場所にポスティングに行ったのですがとても楽しく未来を感じました。ふとしたことも閉ざさずに生かして楽しく先を創ります。三鷹 聖地でのコンサート、京都、仙台のコンサートへ向かいます。