KEIKO KOMA Webサロン

上弦の月に見守られて


びわ湖コンサートの前の魂の詩の展示会の模様をウェブサロンで拝見しましたとき、魂にふれる書がありました。「はるかかなた 出会い 生まれた・・」この詩をちらっとみただけですが、腑に落ちる何かがあり命はそのことを知っていると真実から逃れられない気持ちになったのです。それから今に至る中で、龍のように立ち昇る志の稜線をくっきりはっきりとさせていくスピードに生きているようです。

三鷹風のコンサート  第一部  「情熱」

雑念がいっぱいで演奏に集中できなく音を対象化しつづける状態に辟易します。今の自分の状態はあることにとらわれそのことばかりに生命エネルギーを消化していて、原因はそこにあると感じました。感動のない一部に気落ちしたものの、一部のメッセージに、意味深いなにか心当たりのあるようなものを抱きつつ、二部に入ります。

第二部 「愛があっての情熱」

本当にそうだともっともだ、と愛が欠けていれば、平和実現は成せない、ともっとも要のチケット売りに精を出していない、余計なことばかり気をとられ時間を費やし、自己満足の世界で生きていたことに気づきますと、演奏は気持ちをすっぽり包んでくださり、生命ひとつとなり胸は光に満ちていくのです。先生は世界を変えるためにお生まれになったことは重々承知であっても、反対方向を向いていては、力になり役立っていけないことに涙し、ただただ、申し訳ない気持ちに包まれ、深い涙の海に私の命は投げ込まれました。涙の中からもっと深い涙が零れ落ち号泣するのを抑え込み、泣いて泣いて・・ある瞬間、演奏が終わる瞬間、これが愛なんでしょうか、と先生に向かって声なき声で問うように言っていたのでした。私は愛を知らなかったのです。そして、この日、愛をはじめてわかったのでした。

今日は昨日の経験もあり、手紙を書き投函した後、府中の森コンサート満席に向かって、人に会うよりなく出かけました。整体院の前に行ったとき若い男の子が出てきていて、本当に言いたいことを自分の言葉で言えたと感じ、純粋な瞳と心で触れあえるとき、生きていてよかったと感じます。三鷹風のホールでは、あのような経験は二度とできないと感じます。愛があっての情熱、人間とし、人に根源から役に立っていけるコンサートをお伝えできる喜びは何にも代えがたいことです。誠にありがとうございます。

 

 

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いだき京都事務所にて
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仙 第4弾