三鷹の地
同じ親族でも、先生に出会うことのなかった親族は、運命のままに生きて死んでいくことを目の当たりにする経験や、社会で起きている事件や起こる事象を見るにつけて、運命に翻弄される人間の仕組みがよりわかってきます。
父は鹿児島から東京都武蔵野市に縁を得て上京し、私は武蔵野市で生まれました。小学生のころから井の頭公園を歩いて登校し、苦しいとき、悩むときには池のほとりの柵に寄りかかり、水面に揺れる木の葉を見ながらなぜ生きているのだろうとよく問うていました。休日に親族で出かける行事は私にとっては苦痛でよりなかったのですが、唯一、行先が深大寺であるときだけは胸が開かれ、息が吸えるので、ここは特別な場所であると子供のころから感じてきました。身体の苦痛が解放され自分を取り戻せる場所があることが希望でした。
いだき講座を受講でき、父はその後独立し、たまたま縁あって拠点を武蔵野市から三鷹市に移しました。今では父と一緒に三鷹を拠点に仕事をさせていただける幸運に感謝する毎日です。三鷹で人と縁ができるとき、他の地では感じない親しみや喜びを感じ、やる気が漲ることが不思議です。父の父、私の祖父は短命であり、同様に数カ月前には父の兄弟も亡くなりました。父も運命のまま生きていれば、すでに生きていない生命ではないかと感じます。鹿児島の田舎から、武蔵野、三鷹の地までやってこれたことはなんの力、なんのお働きであるのだろうかとよく父と話します。ギリギリのところで生命助けていただき、またこの地に来させていただき、支えられ、感謝が生まれます。
昨日のコンサートで経験させていただいたエネルギーは、言葉にならない強烈なエネルギ-で、あの地面からびりびりと感じた響きを、今日の応用コースでの先生の言葉からも追体験し、衝撃的でした。余計な苦労を背負って本領を発揮できない状態も、次第に消えていくように、徐々にではありながらも向かっていきたいと感じます。
今週末は機会をいただき、三鷹市役所の光のホール前でアンドロメダエチオピアコーヒーの出店をさせていただきます。丁寧に、コーヒーのこと、コンサートのことをお伝えさせていただきたいと感じます。
ありがとうございます。