三鷹「存在論」
三鷹の地にて10月さいごの日に「存在論」に参加させて頂き、まことにありがとうございます。
「問うこと」を何度も話して下さり、何度も私たちにも問うて下さりながらも、頭が痺れ何も発することができない申し訳ない状態でした。問う自由すらなかった状況から今は問う自由があっても問えないというのは、ふだん考えたことがありませんでした。
講座を受ける前はどう生きていけばいいのか、何のために生きているのか悩み苦しんでその時々で何かを必死にやりながらも彷徨っていましたが、こどものときから、何かやることがあって生まれてきた、必ずなにかある、誰かに会えると確信のようにあったことが支えでした。「ピアノのコンサートがあるよ」と詳しいことは何も知らずに行ったコンサートのあまりの衝撃から始まり、先生、高麗さんに出会い、生きられる道ができ今に至っています。しかし、自分の人生、生きる意味、存在を、常に問うことをしているかというと、目の前のことに一杯になっていることも多いです。ふだん使ってる言葉では真理に到達しないとお聴きし、自分の頭、習性を変えなければ限界ということも深く実感しています。
先生がおっしゃった「きけ」の音が胸のうちにふかくあり、肝臓のお話、コーチングのお話は心に残っています。「存在と時間」のはじまりのところを読みました。先生、高麗さんに出会ったひとりとして、「真の自分」をあらわし、存在の意味をわかり、まっとうしていくことを願います。ここからは真剣に「問うこと」をしていきます。
11月1日、尊い大事な日、完全に脱皮していくこと心に、三鷹の地のコンサートに向かわせて頂きます。
ありがとうございます。天田敬子