一緒にいる
ジェンダー、応用コース、いだき始まりの日のコンサート、の3日間をありがとうございました。忘れることのできない3日間となりました。お腹の中に抱えていた苦しみを解放していただき、亡き母と自分の魂を救っていただき、本当にありがたい気持ちです。このような解決ができるのは先生しかいらっしゃらないと実感しています。
1日目のジェンダーで、逃げだしたイエスの弟子について質問をさせて頂きました。お話をお聞きする中で、当時の自分の能力に限界があったことを認めました。また、母を看取ることができた幸運に感謝します。そして、イエス様の弟子たちを責めることはできないこと、母と一体化するお話に魂が救われました。この経験がいつか生きるとのお言葉に希望を見出します。とても驚いたことは、「女性は人に命を預けられる」とのお話でした。男である自分とのあまりの違いに、かなわないと感じました。
一体化が母と私にとって悲願であると感じたのは、3日目のコンサートの最中でした。母は、父親、兄、夫から重荷を負わされるばかりで、男性から受け容れてもらえたことはなく、男運に恵まれない人生を送ってきたと思われます。暴力を振るう父親のもとで孤独な幼少期を過ごした母は、中学生のころに日曜学校で出会ったキリスト教、イエス様の生き方に希望を見出していたようです。母が元気であった頃から、苦難の中にも希望を見出す生き方を信仰の中心に据えていました。父の死後、母が病気に倒れると、妹と私を含め3人で暮らすことになりました。妹は母との確執があったようなので、自分が介護を率先して引き受けました。母は私を頼りにしていると感じていました。当時の状況からも気持ちのうえでも、息子である自分が最後の砦となる覚悟を決めていたつもりでした。けれども、母が苦しんでいる時には、状態として一緒にいてあげられませんでした。それだけに、母と自分が一体化することは、最期まで自分の生き方を貫こうとした母が初めて報われるときと感じました。そして、受講することなく亡くなった母の魂が先生に受け容れて頂いたことが何よりの救いと感じました。涙が頬を伝いました。ピアノの演奏が続くなか、涙はいつまでもとまりませんでした。
2日目の応用コースでは、愛の実現が講座2日目の応用であることがわかりました。とくに「すべてが愛を実現するための行為になればいい」とのお言葉を胸に刻みます。そして、人を幸せにするにはものごとができることが前提であると感じました。義父様のリハビリのお話から、人の状態など毎日の微妙な変化をとらえる繊細な感覚が必要なことや、毎日ほんの少しずつ能力が上がるように工程を組むこと、目標はひとつひとつに設定すること、ただし、目標を取り外すタイミングがあることなど、物事をできるようになるための秘訣を学ばせて頂きました。
これまでのジェンダー講座ではいつも独特の緊張感がありましたが、今回はこれまでにない楽しい雰囲気でした。参加者がそれぞれに発言する内容がおもしろいでのす。今の時代に生きる男としての自分を知るため、過去の歴史や神話にその答えを求めていくと、自ずとバイアスが取り除かれ、未来に向けて目が開かれていきます。まるで過去が前方にあるようです。一方で、これまでのように、肩に力を入れて「男とは、女とは」ばかりを問うことは、どこか古めかしいことのように感じてきました。自由度の高いジェンダーレスの時代にどんどん突入していくのがとても楽しみです。どんな自分が待っているのか、これまた悲願である持続可能な社会の実現に向けて、どんどん海外に出ていきたい気持ちで胸が膨らみます。そのためにも、一日もはやくものごとができるよう心します。「平和のために勝つ」という新たな感覚をもって、ゼロから新たなスタートで臨みます。
ありがとうございます。