一緒が嬉しい
6/7府中、6/8三鷹コンサートに参加させて頂きました。
6/7府中コンサート、第一部は「妖精」でした。
純粋で優しい透明な光を感じ、演奏が進むにつれどんどん透明度が増して浸透してゆく体感でした。
第二部は、メッセージの言わんとする事が正直掴めなかったです。この日のコンサートでは腰の痛みを感じて、背筋を伸ばし演奏に集中しようとすると腰の痛みが気になり、普段の仕事、生活のリズムが身体の負担となって腰にきていると感じざるを得ない状態でした。演奏が素晴らしいだけに、それを経験しながらも活かせない状態にどうしたものかと考える機会となりました。
夜は夜勤をして、朝は利用者様の笑顔を見て、朝受講生の方から励ましのメールを頂き、優しさとみんな頑張っていることを感じ、気持ちに助けられていることを感じました。
身体は疲れているのにちゃんと生活すると決めた頭は固く、スーパーで買い物をし、発酵食品や海藻類など取り入れ頑張って朝食を作ったものの一口食べると全然食べたくなくてガッカリしました。
買い物している時点で義務感のようになっていて楽しくなく、だったら本当に食べたいと感じるものを一つでも買えば幸せだったかもしれないのに、毎日状態は変わるのに、固定観念に縛られた頭の固さにガッカリし、ふとこれも迷信の一つかしらと感じました。身体は正直なので、ちゃんと身体が幸せを感じられるように一瞬一瞬を生きる大切さを感じました。短い仮眠の間でも先生の音楽が心身に響いて、なんとかまたコンサート会場へ向かえることが有り難く、開始前は頭や状態をフラットにまっさらにし臨みました。
6/8三鷹コンサート、第一部は「誕生してから」でした。
丁度1歳に満たない双子の姪っ子の成長の動画が送られてくるのを心待ちにしているので、私自身も幼い頃に寝返りうった!とか◯◯歩いた!等、母に見守られ、小さな積み重ねで成長し今に至るんだと感じるとジーンとしました。
やがてさらに遡り、精子が卵子に到達し受精卵から始まり細胞分裂を繰り返し…始まりはそんな小さなものだった、偶然のような必然のような、そんな始まりだったことを感じていました。
すると出会ったことがあると感じる音が内側に響き身体が解されて、もっと広い大きな空間からくる働きも交わり、どんどん心身解れて安堵する体感で一部が終わりました。腰の痛みが怖いので、無理せずに最初は腰だけは背もたれにつけて、徐々に慣らしてゆきました。
第二部は「愛に目的はありません」でした。
一部で今に至る奇跡を感じても、自分を否定する頭がありました。もっとちゃんとしなくてはいけないと考える頭は学校教育の弊害でしょうか。その癖親しい人にはありのままの私を肯定して欲しいと要求しているのだから苦笑いしかないです。
幼い頃に望むようには愛情を受けられなかったからと想像しますが、いだきしん先生、高麗恵子さんに受け容れられて沢山のコンサートから愛を経験し、生き直すように過去も変わる経験をさせて頂いています。一部で出会った音が身体を解してくれて、そこから様々な音が身体に響きます。頭の中で「愛に目的はない」と繰り返し、ちゃんとわかりたいと感じていました。
音が重なる中で尺八の音色のように感じる音があり、その音を辿ってゆくと体内に染み渡り身体の芯を解され、愛はただ在ると感じました。その後のアリランの演奏はただ美しく、愛に溢れていて、とても感動しました。手拍子の際には、初めて合っている!と感じました。先生の音と、私達の手拍子が一つになり感動し涙滲みました。先生が「ちょこっとだけ合った」と仰り、これはまだちょこっとなのか!とまだまだ先があることが楽しみです。気付けば第二部は最初から最後まで背筋を伸ばして腰に痛みを感じずに聴けました。
日々いろんな変化や気付きがあります。尊い機会を誠にありがとうございます。