一枚のお写真に。
中国からお越しのお客様と一緒に撮られたお写真に言いようのない喜びを感じ、何度拝見しても胸震えてなりません。中国からのお客様とは知らずにお写真を拝見したときも、お一人お一人のやさしい表情は懐かしい友人に再開したときの、包み込むような笑顔に感じました。どういうときに自分は懐かしい友人のようと感じるのかを考えますと、今一緒にいる仲間も知らない当時のことを知り、知らなければわからないことを分かり合えている安心感や安堵感をその笑顔から感じたからです。
高麗さんの書き込みにて、漢民族とおっしゃる中国の方の「元はひとつ」との表現に、はじめて喜びを感じられたとのことは、少なからず高句麗の歴史を知っていたり、高麗さんのこれまでの反応を知っている人間からすれば、驚くべきことでした。高麗さんの表現は真とはっきりわかっていますので、単なる連想ではなく表現させていただくのですが、「過去」という時間でいう以前の事も、今の変化と共に変わっていくのかもしれません。そうであるなら、過去によって当たり前と思い込んでいることが当たり前でないと考える方が真っ当とも言えます。実績や事実という意味で過去は消すことも変えることもできませんが、捉え方や解釈ではなく、過去も変わっていくのだと今は感じています。
一枚のお写真からどうにもならない喜びを感じ、また高麗さんの書き込みから大変化を知り、お一人のことでなく、全体的な変化であると考えました。自分のことでは、過去の知人、特にいだき講座を受講する前の知人は生まれつきの運命がある時に出会っていますので、どうしても記憶にある関係が悪いことのように勘ぐってしまうことがありました。しかしもしかすると単に自分だけ思い込んでいるだけで、自身の内面の変化とともに新しい関係をこれから築いていけるのかもしれないと感じ、また連絡してみようという気持ちになりました。ありがとうございます。