コンサート、日々の発信、ありがとうございます。
16日にもいだきしん先生のコンサートを経験させていただき、真にありがとうございました。何度も、書き込みをしなければ、御礼だけでも書かなければとパソコンに向かいましたが、この度は、いつも凄い経験が更に凄くて言葉にならず、どうしても書けませんでした。しかし高麗さまの書き込みを読ませていただき幾つも気付きがあり感謝申し上げます。その中の一つに、ど真ん中で生きていなければ書けないのだとわかった、があります。ど真ん中は自然なので常に変化しています。中心は生命が知っていますが頭で余計なことをしていればずれるし、その気がなくても逃げたり引いたりしていればズレます。真剣勝負の時に突入しているので、同じ間違いはしないようにしようと心します。
14日のコンサートでも、初めての音、初めての経験があり、千回を超える経験をさせていただく中でも、毎回最高の感動があります。16日のコンサートでは開演メッセージに「死霊」と聞いただけでもビクッと身体も動きました。霊と言ったり書くだけで宗教なのかとか、あやしいと言われるような現代社会ですが、宗教も霊も本来、あやしまれたり避けられたりするようなことではないことを、死や死者を葬る歴史を知れば知るほどわかります。葬儀会社を営むずっと前に、いだきしん先生、高麗恵子さまと出会わせていただいておりましたので、葬儀現場でのありとあらゆる実情は御粗末な状態となっていると長年感じて参りました。今は、信仰することもなく、宗教的修行をすることもなく、生命のこと、魂のことをわかる尊い機会、IDAKIがあることをお伝えさせていただいています。勿論IDAKIはそういった部分的なことをなさっておられるところではありません。しかし、自分が経験し、わかったことを、もっと広く表現していかなければならないと考えています。そうでありながらメッセージにありました「死霊観」などとは考えたこともないと、第一部の間中ずっと考えておりましたがその時は全く答えが出ませんでした。演奏がはじまると、感じた事のない体感にとても驚き、先生が命の中の大掃除をしてくださっているように感じ、やがて光の世界へと導かれ、第一部が終わる頃には光の音が自分の中から生まれ続けるようで、感動しました。第二部の「顕れる事」でも音に集中し、人間が本来生きる「生きる」ことを経験します。終盤では涙が溢れて溢れて仕方がなく、本当に言葉がないほど感動しました。感動も感謝も超えて、何もない超感動とでも言いましょうか。これ以上ないほどの尊い経験に心より感謝申し上げます。
初参加の方をお連れすると様々な事がありますが、やはり「今生きておられるのでたった一度でも」という気持ちに焦点をあてればその他のことは問題になりません。コンサート終了後は本音で素直な語り合いができることも素晴らしいと感謝します。
今朝は夜明け前に家を出て、新幹線で盛岡へ向かっています。高麗さまが全国各地へ、始発の新幹線に乗られ、終電で帰京なさる連続の日々でおられた頃を想い出し、もっと働こうという気持ちでいっぱいです。
本日は、スペシャルな上映会のお知らせに心から感謝し、午前中のアポイントメントを済ませ、向かわせていただきます。
ありがとうございます。