KEIKO KOMA Webサロン

一つ


郡山での経験を、どのように言い表せばいいのか正直思いあぐねています。高句麗伝説の会場に向かう前、麓山公園の弁天池から眺めた夕空は、身じろぎ一つできずに立ちすくみました。黒々とした木々の美しいシルエット、薄グレイの雲間に輝く黄金の光、水面に映し出された水鏡、すべてが一つとなる光景は古と今が同じ空間に存在していました。何もかもが止まった静なる時。少し歩くと水の流れる音が聞こえてきます。その音を手掛かりに歩いていくと、「麓山の滝」という木の案内がありました。勢いよく流れ落ちる水の音、そよぐ風、揺れる木々の葉、流れる水面の輝く光、邪を何もかも消し去り、風、水と一つに溶け込む空間。ここは一体どこなのか、いつの時代に今いるのか、流れる水の音だけがすべてを包み込む聖なる時。どれくらい時間が経ったのでしょうか。静寂と共に会場に向かいました。高麗さんの発する声と先生の音が、一つとなる空間。それは次第にモノトーンとなり、先程の光景と重なっていきます。古と今が、高句麗と日本が、歴史の縦軸と今の横軸が一つになる空間。東北、魂、隠されたものが蘇るエネルギーが、先程の麓山公園で見たものと交わり、織りなす場。初めての高句麗伝説です。自分の中で起こったことを整理しきれないまま、会社に向かい仕事を行いましたが、すべては些細なことであり次元がまるで違ってしまったことが、はっきりと分かりました。既に今日となりましたが、盛岡ではどのような展開になるのでしょうか。気を引き締め、向かわせて頂きます。よろしくお願いします。

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ウクライナの風景
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レバノンより
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八坂にて