ロマンの実現
久しぶりのコンサートは感動、感動、感動の連続でした。世界へ届けと祈ります。
ウクライナの人に必死でコンサートに身を運ぶことが、外的環境が変わることをお話させていただいていますが、死者の霊魂を身に受け、具合が悪くなり、起き上がれなくなった時、先生の一音で生きる場とわかった経験をさせていただき、先生につながらずには救済はなく解決はないと甚くわかりましたので、応用コースの後には、メールをせずにはいられずに、再びコンサートのことを伝えていました。今日は、仲間と話している時に気づきました。日本が復興した力がウクライナの戦後に必要と、大統領もおっしゃっておられますが、応用コースの時にも先生からお話いただき、日本のことを考えました。日本は東京大空襲もあり広島、長崎に原爆を投下されています。たくさんの方々がお亡くなりになっているのです。そして東日本大震災では広大なエリアが破壊され、たくさんの生命が失われました。壊れたら新しいものを作ることが大切というお話から父の話までしていただいたのです。今日は、そのことばかりを考えていました。日本も先生がおられなかったら、過去を繰り返し、歴史を繰り返しますので、またやられてしまう危機にあると気づきました。日本人の方がいだき講座を受講されたので、過去をくり返す運命が解放されていることが、過去の歴史を繰り返すことがなくなると見えた時、いだき講座をはじめさせていただけましたことに深く感謝しました。ウクライナの方に、過去を繰り返すので、一人でもコンサートにご参加いただき、内面が変化したら取り巻く環境が変わるので、一番解決への可能性があると必死で話していたのです。日本人がたくさん講座を受けておられますので、過去の歴史を繰り返すことの確率は少なくなっていると見えた時、今後はもっともっといだきをお伝えしていくことが必要と身に染みました。今日も先生のコンサートが日本の地で開催されることで、どれだけ多くの過去が解放され、新しい世界を作り上げていることでしょう。世界の救済の道を作っているコンサートの一席に身をおけるだけで、人間とし最高にありがたいことであります。
第一部「個性活用宣言」
「当コンサートは、インプロビゼーション、すなわち即興で演奏します。それは皆様お一人お一人の今ある状態をそのまま受け容れピアノの演奏としてあらわせるからです。あくまでもお一人お一人であって、何万人いらしてもお一人お一人がまず、ご自分個人の経験として楽しめます。演奏が進むにしたがいより一層自分の内なるいのちが豊かに反応し、同時に他の人との交流もはじまります。かといって一心同体にはなりません。それぞれの潜在的な個性が顕になり、他の人達との、あるいは、自然との、時により広大な宇宙空間までとも、いのち一体になる個性として顕れます。標準化、平均化などの社会の中で、個性が活かせる場を経験いたします。このような場を、お一人お一人の個性を活かすように、皆さんで共有するのです。」
美しい音に生命洗われ、ただただ心地よいです。ウクライナのことがあり、戦争の酷いこと、悲しいことやりきれない日々を過ごしていますが、日本も先ほど書かせていただきましたように原爆まで投下され、大変な歴史を生きてきたことを自然と考えていました。ここ数日、三島由紀夫さんの番組を続けて見ました。戦後、魂亡くした日本に対し、精神文化の国をなくしてはいけないと訴えているメッセージも聞きました。三島由紀夫さんは嘘をついて病気と診断され、戦争に行かなかったことを悔やんでいる文章も見ました。ふと父は戦争に行きたくなくて、嘘はつけないので、本気になって病気になろうと頑張ったけれど体が丈夫で何をしても病気にはならなかったと言っていたことを思い出しました。幸い生きて帰ってきたので、私もこの世に生まれることができたのですが、高麗家の跡取りである父の兄は戦死しています。生きては帰ってこれても自分だけ生きたことを悔やみ、うなされていました。嘘をついてもつかなくても、生きても死んでも苦しむことが戦争の惨さと悲しいばかりです。父の代のことなのに、戦後生まれた私は、過去に生きた人がどれだけの思いをして死んでいったかをわかることもなく生きてきたことに深く申し訳ない気持ちでいっぱいです。霊魂を身に受け倒れた時に、行き場がなかった苦しみは耐え難いことでありました。地獄でもまだ行き場があるだけいいと身をもって経験しました。霊魂の苦しみを受け容れることもなく、見えてしまう自分をおかしいと思い、自分をも潰してきた愚かさを恥じ、申し訳ないと感じています。仲間と話していて思い出したのですが、同じ年の従兄弟と子供の頃に霊魂について話していた場面を鮮明に覚えているのです。従兄弟の友人は霊魂を見たショックで死んでしまったのです。一昨日私が思い出した場面はショックで死んでしまいかねない衝撃でした。先生がおられるので、解放に向かい、生きる場をみつけることができますが、先生がおられなかったら、長い間、無念の死を遂げた行き場のない霊魂は苦しむばかりで、生きている人間の苦しみとなっていきます。霊魂のことは多くの人が見えませんので、本気になって話すとこちらがおかしいとされがちですので、話さないようにしてきましたし、話しても少し笑いながら誤魔化すこともありました。大変申し訳ないことと甚く感じています。私はうまれつき見えるので、見えたことは表現していくと一昨日から決めました。今日のコンサートでは生きている人間だけではなく霊魂もたくさん救済されていきました。悲しみが愛と変わる瞬間瞬間の音が愛おしく、涙となるのです。生きていてこれほどまで感動する経験があるでしょうか。どうにもならない霊魂の苦しみが解放され、空間に溶け込み、光とし永遠に存在するプロセスを経験するのです。生きている人間はメッセージに書いていただきました経験をさせていただいています。世界がいだき講座を受けていると見えました。そして私のすることは世界中の人にいだき講座を受けていただくことです。どのように受けていただくかをずっと考えながら演奏を聴かせていただきました。ある流れがあると見えます。世界中の人がいだき講座を受けたようになる流れが見えます。願望も入っていると感じますが、戦後のウクライナで大統領はじめ、国を作る方々にいだき講座を受けていただいている光景まで見えました。世界はいだき講座を受けなければ延々と過去を繰り返し、この先は生きていけなくなる限界の時を迎えています。私はおおいなる存在とつながり、人類救済の道を作りたいと心より願います。
第2部「個性の交わりが愛」
「個性は自覚されないところに愛はありません。個性は愛に気づき、愛を実現する為のスタートラインです。個性をわからないままの愛という表現は、はじめから嘘です。尊い人生は傷つき、うやむや、曖昧性の中で何とかまわりの標準にあわせて身を持ち堪えるよりありません。人間の本来の姿とは似ても似つかぬ有様です。今更、個性を活かした愛というのもおこがましいですが、個性は愛の本質に関係します。個性と個性は対立し、ぶつかりあうことはありません。個性と個性は交わり。ゆえに理屈抜きに互いに尊重しあえるのです。」
広大な大地を風が吹き抜ける音の中でアリランと感じている演奏をお聴きする時、私は高句麗を感じます。自分の生命の内に流れる高句麗の血、生命の内に宿る高句麗魂をはっきりと自覚できます。高句麗の真を表すことを今日は示していただきました。嘘をつかずに戦争に行き、生きて帰ってきた父が子である私に託したのは、高句麗王直系子孫であることを忘れてはならないということです。先生に出会えたので、父が託したことは叶ったのです。先生に出会えるように、日本に亡命し、魂が受け継がれ生まれたのだと、自分の生まれて来た意味が歴史の流れを見るように見えました。真の自分を世界にあらわす時です。真の自分が個性と考えます。個性と個性が出会い交わると愛となることは今日の演奏でよく見え、経験しました。アリランの後は私が愛の音と呼ぶ演奏がずっと続き、感動、感動の連続でした。生命の内には愛の風が吹き抜け、大宇宙とひとつで心地よいばかりです。個性があらわれるには生命の内に受け継がれた運命が解放されないと顕れませんので、やはりいだき講座が必要です。私は世界中の人にいだき講座をお伝えすることばかりを考えていました。生命賭け実行することが今後を生きていく道です。必ず成していくと強い意志が立ちます。
コンサート後のビデオメッセージ収録時にこのことを話していました。聞いていた英語担当スタッフは、自分もそう感じたと言いました。英語もよく勉強し、お行儀も訓練し備えようと話ました。コンサートチケットが売れないと英語力も伸びないと見えますし、仕事のマナーや礼儀作法が身につけていくにもコンサートチケット売りより世界に通じるマナーや作法は身につかないことを私はよく知っています。私も自分流にという表現が生まれましたが、自分が自由に表現できるやり方で動いてみたい気持ちが生まれ、やる気満々となりました。真の自分を全面に表し、勝負を賭ける気が生まれています。アリラン的な演奏をお聴きしている時、高句麗の真を表すと見えた時、要の地で高句麗伝説を開催することで、オセロゲームのように黒が白に全部ひっくり返る光景が見えました。真は強いです。先生に出会え、生命偽りなく生きることができ、真にありがたいです。真に生きることができる人生です。世界に表すことが必要と甚く感じます。世界中でコンサートを開催し、一人一人、真の自分があらわれ、個性と個性が交わるロマンを実現したいです。歴史の大ロマンあふれる演奏を体感でき、ロマンの実現に向かいます。ありがとうございます。