ロシアの大地からの便り
ジェンダー講座があった日より、まだ2日間ですが、頭にあるものも紙に書き出し、体の声を聞き、あるがままを表現し、認めています。いかに避けていたことや忘れたいこと、考えても仕方がないと判断し、答えを出すことをやめてきたこと等々、体は全てを語っています。いつも前向きに生きようと、意識的であっても努めてきました。先生に出会え、助かった生命であり人生です。多くの魂の働きかけ、導きにより出会え、私は生きていられることにいつも深く感謝し、生きていることにお礼を言いたくて、そしてご恩返しをしたくて、嫌なことや後ろ向きなことには関わらないようにし、自分では一生懸命生きてきたつもりです。先生にお会いする前には精神を病んでいたので、少し気を抜くと、ドン底に落ちる恐怖もあり、助けていただいた生命を2度と生きれないようにしてはいけないとは常に肝に命じ生きてきました。が、意識的に頑張ったり、行ってきたことが最近はすべて嫌になり、その嫌さは、朝目覚めた時に、生きていてもしょうがないと思ってしまうほど嫌なのです。一歩動けば活動的ですので、どんどん動いていけるので、まずは一歩動くことで生きてきましたが、このところの朝の鬱は耐え難いものがありました。ジェンダー講座の時より、体の声、頭にある余計なものをそのまま認め、受け容れるようになりました。意識的に努力する時は、先へ行かない思いや意識は付き合わずに、未来へ向かうように努めてきました。今までは大変恵まれ、働きかけ多く生きてこれました。が、時代が変わり、変わらねば生きていけないと感じる時代となりました。今は、全て受け容れ、ど真ん中にあることだけ努めています。辛いことも悲しいことも受け容れると、ある何かに転換していくことがありがたく、生命があるということはどんな過去も生命に融合し、新しい気持ちや感覚が生まれることがありがたいです。昨夜は、体の声を聞き、あるがままを文章に書きました。ロシアでの同胞探しの旅について生まれるがままに書いていました。生まれた時から、胸の内には引き裂かれた悲しみが刻まれていました。いつも卵の殻を割った時に一つであった殻が離れ離れになることに例え、片割れに会いたいと胸の内の声を詩に書いていました。小学生の頃からロシア文学、ロシア映画に心惹かれ、ロシアの大平原に吹く風を感じると、草木が風に揺れる光景を見るだけで、涙で潤む瞳に映る恋し存在を感じていました。いつも心に慕うロシアの大地を、モスクワでの「高句麗伝説」にて詩に詠ませていただいた時、号泣してしまいましたが、ロシア人も号泣していたことをたくさんの仲間から聞いています。私にとってはやっと時を得、別れた同胞が亡命したウラジオストクに行ける時が来ました。悲願の実現と受け止めています。その時は、昨年の10月1日に開催しました「高句麗伝説」にて、先生の存在がはっきりと現れた時からはじまりました。その空間は、真は真であり、愛に生きることが当たり前であるという空間でした。人生拓き、幸せを実現できることは当たり前であり、世界の平和も実現することは当たり前であるとわかる世界でした。天地がひっくり返るほどの大転換が起こりました。先生あらわるとは。。。と絶句しました。その後、仙台での講演会の日の朝、五女山コーヒーを淹れていると、「五女山の愛」との強いメッセージを受けました。悲しみから生まれた高句麗ではなく愛から生まれたのだとコーヒーは、有無を言わさぬ強さで訴えてきました。私は受け止めました。涙が溢れ続けました。そして講演会の時に別れた同胞に会いたいと本音を表現したのです。東アジアがひとつになることを願い、ずっと活動してきました。京都に拠点を作ったのはその道を作りたい気持ちからです。表にあらわる歴史は古代朝鮮、高句麗、新羅、百済と記されています。が、高句麗は朝鮮民族ではなく、ツングース民族です。イランでの「高句麗伝説」の時の記者会見時に、韓国映画「チュモン」が大ヒットしていました。知らないイラン人はいないと聞いています。チュモンの子孫がきたと喜んでいただきましたが、先生は高句麗は朝鮮民族ではない、と断言し、「同じ民族を滅ぼすか」と強い口調で言い放ってくださいました。胸の傷と痛みが涙に流されていくようでした。ここに関わっていくといつも裏切りの歴史を繰り返し、辛い思いをしながらもアジアの平和の為にと言い聞かせ、頑張るよりない状態なのです。裏に隠された真の歴史をわかることが悲願の実現へと向かうということが五女山の愛と強くメッセージを送ってくださったコーヒーから教えられました。折しも高句麗遺民は日本とロシアに亡命したと書かれている歴史の書物を見ました。ロシアへ行くと決めた時、被災地となった結工房にてウラジオストクの方がお越しになり、出会ったのです。そして生まれて初めて同胞が亡命した地に行くことが叶い、先生のコンサートを開催できることにまでなりました。ロシア語の「同胞」には血の繋がりよりも強いという意味があると聞き、魂震えます。1300年前の別れた同胞を探しにきたという話は信じがたいことであっても本当の事です。ロシアの人はとても心に残り魅かれるとは何度も聞いています。このことを文章にして欲しいとも何度も言われてきました。やっと書けました。自分の人生でやらねばならないことは悲願を実現することとは体の声を書き、明らかなこととわかりました。
ちょうど、先ほどアップした写真が届きました。ウラジオストクの街に先生のお写真が現れただけで胸の内にロシアの大地の風が吹き、涙滲みました。写真の先生に、「先生」と声を出して呼びかけました。涙溢れます。たくさんの同胞の魂が待っていると感じます。この流れは、皆が協力してくれて、良いように良い方にと動いていくので、逆らってはいけないことと、ロシアで動いてくれている方はおっしゃていました。私は魂が進行していることをその言葉から見、感じました。動けば、どのような時代に生きているかがわかります。様々な壁を乗り越え、人類の悲願を成し、平和な世界を実現する時とわかります。
昨夜は、様々なエネルギーが蠢き、とても気持ちが悪い夜でした。とても眠れる夜ではなく、心臓が痛み、起き上がった時も心臓が痛み、胸の内は鬱でした。それでも、昼過ぎには仲間がお掃除に来てくれ、天運コーヒーをいただき、パリ行きの和紙を選びと動いていると、鬱は吹き飛び、いつもの自分になりました。先生にもつながり、曇りも霧も晴れていくようでした。東京は人が多いので、大勢の人が苦しいのだということを身を以て感じる一夜でした。出かける準備をしていると、大きな声で「ただいま」と聞こえ、私は一足飛びに声が聞こえる方に駆けつけました。愛麗花ちゃんです。心臓に花が咲きました。一辺に痛みが取れました。全身全霊、子供達が生きていける世界を作る本音が生まれ、全身駆け巡りました。久しぶりに夏休みに蝉のお墓を作り、お手紙を書いたことを話しました。「死んでもずっと一緒だよ」との言葉が心に沁み、人間が人間とし生きていける世界を作ることをせずしては生きていく意味がないと生命全てでわかります。
今日となりましたがスカイロケットセンターにて「本音で生きてください」講演会前の午後5時半からビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。